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富田和明的個人通信

月刊・打組

1999年 12月号 No.51(12月29日 発行)

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歳末打ち納め対談

ファンピー富田 vs 富田和明

12月24日       

※剱伎衆「かむゐ」の島口哲朗さんと『オイサー?』。上下両幕は類 貴保さん製作  Photo/A.Kenji
ファンピー富田(富田の末の弟/) いよいよ師走、だと思っていたらもうすぐ大晦日。ホントに今年も終わりですね。
富田和明) やっぱ十二月、体感音頭が終わらないと年が終わらないという気分に僕はなってますね。今年はファンピーさんも出演できてどうだった?
 公演が始まる前の前座ですけど出させていただいて、緊張しました。ケンチャックさん(佐藤健作の双子の兄)が一緒でなかったら勤まらなかったと思いますよ。
 去年は一日だけ僕も「客入れトーク」をやったんだけど、ダメだったね。二日続けてやる勇気がないもの。
 そりゃ、太鼓のコンサートに来たつもりがいきなり開演前に漫才コンビもどきが出てきてお喋りですからね。お客さんがビックリしてるのわかりますから。それに「まずい」ってお客さんが思って帰ろうとしても、あの門仲天井ホールは一旦入ったら帰れない小屋なんですよ。
 そうそう、もう狭い会場で椅子がびっしりだから座ったら最後、動けないよね。今度「和太鼓金縛り劇場」っていうサブタイトルつけようか?
 はいはい。
朝からたくさんの方に手伝ってもらって、何にもない四角い空間に幕吊って舞台作って客席作って、それからその前にあの太鼓や道具類を全部八階まで搬入してるんだけど、それが大変ですよね。
 いつも途中で二、三個太鼓落っことしちゃうものね。
 危ないじゃないですか?
 それをまた拾ってきて上げるのが大変。公演観終わって、あるお客さんが「この大太鼓(三尺三寸平胴)はどこから上げたんですか?」って聞くから「そこの非常階段からです」って答えたら「ホー」って感心してました。
 嘘教えてどうすんのよ。エレベーターにギリギリ入ったんでしょ。
 それはさておき、今回の特長は何と言っても照明に力が入ってました。村上智子さん(演劇プロデュース「Uステージ」役者兼照明家)に来てもらいましたからね。それから初日の照明仕込みには、嶋崎靖さん(同じく「Uステージ」代表)まで来ていただいて恐縮しました。
二人とも僕の同級生(横浜放送映画専門学院演劇科)なんだけど、智ちゃんとは一度も仕事を一緒にしたことがなかったし、嶋崎とも初舞台(’76年春・松島とも子ミュージカル「絵のない絵本」)が一緒だっただけでその後何もやっていないから、こうやって会えたこと自体が嬉しかったね。公演の日の朝、二人の顔を見ながら三人で並んでいると、いっぺんに二二年前に戻った気がしたもの。
 道が違っていても会えるもんなんですね。
 この学校を卒業する時に担任だった沼田先生の言葉をおもわず思い出しましたよ私は。
「芝居でうまい奴、才能のある奴はいっぱいいた。いたけどみんなやめちゃった。残ったのはやめなかった奴だ!」って。
 残ったのはやめなかった奴、ってあたり前の話じゃないですか?
 とにかく、演りたいのならやめるなってことだよ。
 でも才能も何もない人間に「やりたい奴は続けろ」だけでは無責任じゃないの?
 そうだな。でも「おだてれば猿でも空を飛ぶ」って昔から言うでしょ。
 言わない!
※太棹を手に『戯打遊(ぎだゆう) 三味線』で一年を振りかえる  Photo/A.Kenji


 今回、もう一つ特長がありました。それは殺陣師の島口哲朗さん(剱伎衆「かむゐ」代表)に『オイサー』をやってもらったこと。
この曲はもともと愛と闘いをテーマに作った曲で、それを太鼓で演るのがミソだと僕は思ってたんだけど、今回は思いきって太鼓と剣の対決にしました。やっぱり殺陣の人は迫力が違いましたね。
 記録写真を頼んでいた写真家の青柳健二さんも、あまりの緊張感でシャッターを切れなかったそうですよ。
 本当は剣でやりたかったんですが、舞台が狭いので黒木刀でした。お客さんもすぐ目の前にいらしたので、島口さんは刀さばきの練習を何度も繰り返していました。「真剣もありますよ」って言われたんですけどね。
 真剣だと、かぶりつき座布団席の方は確実に何人か危なかったですね。
 劇場支配人の黒崎八重子さんから「事故だけは起こさないように」って釘を刺されてましたから、真剣に断りました。
 はいはい。
 この前「かむゐ」の稽古を見せてもらいましたが、五人での立ち回りはもっと凄いです。広い空間があれば、一人対一人ではない太鼓と剣の世界も、皆さんに観ていただきたいと願ってるんです。
 太鼓が一人で剣が五人じゃ、それこそ「太刀打ちできない」じゃないですか?
 その「太刀打ち」を曲名にするのも面白いかな?太鼓と刀で打ち合うから『太刀打ち御免一番横丁』とか‥‥。
 どうでもいいけど、その、曲名を先に考えて内容が決まるのは本番直前という習慣は、何とかしたほうがいいと思いますよ。健作さんも一番困ってるでしょ。
 それはわかってるんだけど‥‥。今回も何とかもう一曲は新曲にしたくて、この一ヶ月は唸っていたんですよ。猿とニワトリに次ぐ動物シリーズとか、中国朝鮮に次ぐアジアシリーズとか、苦しんだあげく(でもこの苦しみが最大の喜びの時間なんですが)、開き直って、よしこれでいこう!と決断したのが三日前でした。
 健作さんは、もがいて二日間寝込んでましたね。
 一人での太鼓芸も目指していきたいんですが、一人ではどうしても表現できない世界があります。東京打撃団は五人の世界だし、小回りの利く二人で作る世界も魅力的です。その点、佐藤健作は柔と剛の両方を兼ね備えた、何色にも染まりながら自分の色を出せる希な太鼓打ちですから、これからもお付き合いを願いたいですね。形式美と技とを持った上で、それをまたブチ壊せる落差を楽しむ太鼓を作りたいと僕は思うんです。
 それでは私からもケンチャックさんにお願いしてもらいますよ。最後になりましたが、
 皆様よいお年をお迎え下さい!

※佐藤健作 御手製・巨砲バチ(長さ85?、直径43?のヒノキ材)がしなる   Photo/A.Kenji    
                       

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インターネット版 『月刊・打組』1999年 12月号 No.51

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