『太鼓アイランド青葉』五周年記念スペシャルワークショップが、盛況の内に幕を下ろした。大勢の参加者の皆さん、ゲスト出演頂きました畑真由美さん、そして佐藤健作さん(自身の新三尺平大太鼓の叩き初めまで行ってくれました)、ありがとうございました。 五年前、自分が主宰するワークショップを始めようと決意した時、どんな名前を付けたらいいかと考えた。自分を生んで育て、また、太鼓と一体となって過ごし、自分を活かしてくれた場所だった『島』を、その名前に入れるしかないと思った。
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※すべて終わって慌ただしい中での記念撮影。中列左から三人目・佐藤健作氏。前列左端・畑真由美さん。その他、太鼓アイランダー/次回は7周年記念で!青葉公会堂にて
ゴールデンウィーク、と言ってもこれまでは取り立てて想い出話もない。そういう世間様の生活とは別の世界で生きてきたつもりだったが、今年はなぜか最初から最後までぎっしりと予定が入った。正確には、入れた。自分の意志で。フリーになったのですべてが自分の気持ち次第で動けるのが、唯一誇れるところだ(明日の生活が心配なので、頂いた仕事はまず断る勇気が持てない)。ええい、どんどんやっちゃおう!と張り切って迎えた。 まずは岐阜へ走る。 受け入れて下さった関市のプロジェクト百年・岩田さんとの付き合いは古い。話すと20年以上のことになるので、ここでは省略。そして、僕の中国留学と前後する形で、娘さんのAさんも中国にいたことで娘さんとも付き合いは長いが、太鼓を叩く仕事を貰ったのは初めてだった。 行ったところが、岐阜市の社会福祉法人『いぶき』のお祭り。 小学校と公民館を丸ごとお借りしての年に一度のお祭りだという。快晴の空の下、校庭には色々な出店、ゲーム広場など朝から夕方まで3,000人の人出だったらしい。 会場が広いので急遽ピンマイクを付けての演奏。出店の中には当然、焼きそばのお店もあって、それが舞台の真裏。『アフリカン焼きそば』を演奏しながら、店のお兄ちゃんたちと目が合い、思わず笑ってしまう。僕らの出番が終わった後、焼きそばの差し入れをいただく。夜は関係者の皆さんと水餃子、手打ちそば大会。 翌日は同じく岐阜県、恵那市の山中・飯地高原文化村(といっても個人のお宅でのお祭りだが)に走る。 この地域はバブル期にゴルフ場建設計画が持ち上がった場所で、それに反対する為のえん曲な意思表示として、文化活動が始まったといい、今に至っているという。地元の人たちと岐阜大学の関係者などの集まり。ここでの日差しも燃えるように直接的だった。 緑に囲まれ、昼の太陽をがっぷりと受け止めて歌い太鼓を叩く。 流れる汗が目に入ってきて痛い。この二日間でずいぶんと日に焼けた。野外での演奏は、気分はいいのだが、屋内の演奏の倍は疲労すると思う。老体には沁みた。 終わって、中央高速恵那ICから東名廻りで横浜に戻る道中、心地よい疲労感が体を包み、眠りの世界へ誘われる。 東京に戻っては、国分寺市第三小学校での『一陣風』学校公演。 村山、熊谷とのトリオ初お披露目で、いつもに増してスタッフの数が多い。 その翌日には再び東名・名神を走り、淡路島へ。3日は太鼓アイランド淡路の会員でもあるKさん宅の新築竣工祝賀会パーティーで太鼓を叩いた。 ただの竣工祝賀会と、侮るべからず。 個人の会でも規模が大きい。その舞台で色々な芸能が飛び出す。淡路島の南淡町は、島内でも特に芸能の盛んなところで、僕でもまだまだ知らない世界がある。 ここで観た、『だんじり唄・うたいま専科』というグループは、メンバーのほとんどが女性。元々のだんじり唄は男の世界で女人禁制だったが、祭りの場を離れて唄・語りだけが人気を得、一人歩きしだしている。町内の各小学校でもクラブがあり、大会まであるそうだ。 『だんじり唄』という、祭りの中で伝えられてきた一つの芸能は、これからもどんどん広がりを持っていきそうな勢いだ。 その後は、広島県庄原まで車を走らせる。GW真っ只中だったが、それほど渋滞はない。午後9時半、雨の中、主催者の0さんの姿を見つける。 翌日は、広島県(でも岡山県に近い)国立備北丘陵公園での春祭りコンサート。 さすが国立だけあって、広さが半端ではない。 宿泊場所だった園内のバンガローから食堂、そして会場まで、どこをどう走っているのか判らなくなるくらい広い。朝から雨で、ときおり激しく降った。野外公演を変更して、神楽殿という、普段はそこで神楽が演じられる場所で新紀撃を行う。 午前、午後の二回公演。一回30分の筈が、お客さんが間近でつい乗せられて50分もやってしまう(ちょっとやり過ぎか?)。当然、新紀撃という名前など初めて聞いたであろう皆さんなのに、庄原のお客さんは温かい。ただ、神楽殿は屋根があるだけの屋内なので、外の湿気はもろ太鼓の皮に影響する。太鼓の皮はボテボテになってしまった。公演が終わって、片付け搬出。その後は、約二時間かけて広島市内へ移動。 広島で活動するちょっと変わった太鼓チームの演奏を見せて貰う為だった。 ここまでのスケジュールはノンストップの飛ばし過ぎ。 最後の二日間は少しゆとりを持って、と言っても熊谷と別れた後は、広島から横浜まで、我が愛車・ハイエースと、お互いに体を火照らせながら駆け抜けたのでありました。 |
いぶきふれあい祭り/『アフリカン焼きそば』演奏中。後ろでは焼そばを売っていました。他写真はこちら
飯地高原文化村祭り/新緑が映える自然の中での演奏は希な機会だった。他写真はこちら 国立広島備北丘陵公園・春祭り/残念ながらの雨で突然神楽殿での演奏会となる。これもまた楽し。他写真はこちら みなさまのご意見、ご感想をぜひお寄せ下さい! Copyright 1999-2002 Tomida Kazuaki. All rights reserved.
インターネット版 『月刊・打組』2002年 5月号 No.76
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