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富田和明的個人通信

月刊・打組

2002年 12月号 No.81(12月30日 発行)

このページはほぼ毎月更新されます。年10回の発行

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約束のあとで

12月13〜14日

「あたしたち もう 離れないって やくそくよ」
妙齢の美女からそう言われたい気持ちは、いくつになっても変わらない。
「これは あちらの約束違反なんです」
今日もまたブラウン管の向こうからはそんな声が聞こえてくる。
 世の中では「約束」という言葉が日々溢れている。世界の国と国との約束から、あなたとわたしの約束まで。新聞テレビの上で、ベッドの上で、人が存在するいたるところで、約束が交わされる。
 大きく固い約束から、ささいな危うい約束まで、守り守られ、また、破り破られる。約束は守る事の方が難しい。難しいかもしれないけれど、それを守りたい、そうしたいと相手に意志を伝える。それが夢を語ることにも似て、人が今日も交わすのが約束。
 守ることでしあわせを感じたり、自信を得たりする。破り破られて、笑ってすむものから、戦争や死の合図にもなってしまうこともある。楽しい約束から恐ろしい約束の結末まで、喜びと悲しみ、それは背中合わせでもある。
 
 そんな言葉を、太鼓のコンサートタイトルに付けてしまった。その日から、僕の悶々とした日々の悶々に、さらに拍車が掛かった。
 普通、太鼓のコンサートタイトルと言えば、「祭」「響き」「故郷」「神」「打つ」、それに季節や自然などにまつわることが多い。一歩踏み込んでも「夢」「希望」くらいだろうか。約束って何の約束だろう‥‥自分で付けておいて悩む。
 どんな太鼓のコンサートにしたいのかと聞かれれば、
「心がふるえ、胸のトキメキをおぼえるもの。夢があってそれでも少し切なくて涙も流しそうになる、でもやっぱり最後は笑顔が忘れられない一夜にしたい」と答えるけれど、これなら選挙の公約と同じでどの太鼓打ちも言っていることかもしれない。
 それでは、と、もっと簡潔に言うと、
「あなたが好きだと伝えたい」ことになる。それとも「愛と笑い」? ま、これも書いたり言うことなら誰にだってできる。これで実際の舞台「約束」に成り得るのだろうか‥‥。
 一年前に誕生した新紀撃01公演と、どう変わらなくてはいけないのか‥‥、11月の終わりになってもまだ決定的なアイデアの扉は開いていない。
 そして熊谷の「ある二人がこの公演を見に来たことにしたら」という言葉で、光が見えた。それから本番までの約二週間、土壇場での、二人の格闘の日々が続く。
 そして12月14日、夜七時前、たった二日間ではあったが、和太鼓★新紀撃02約束 公演の幕が下りた。

 歌って踊る太鼓打ち、めざすは和太鼓演芸場、そして芝居まで。太鼓はもちろんその中心にある。
 太鼓だけを叩く太鼓打ちが普通だが(僕も普段のコンサートではそうだ)、これからの太鼓打ちは必ず表現のボーダレスな世界に立たされていく(今更僕が言うまでもなく、もうかなりそうなっているけれど)。
 一つの太鼓の音だけで表現される世界も探求しながら、またその世界から広がる別の世界も拒否するのではなく、自分の限界がどこにあるのかを体と相談しながら、試していきたい。

 そして、新紀撃02 約束公演で、最後に交わした約束とは‥‥。

 お越し頂いた皆さまの目にはどう焼き付かれたことでしょう。たくさんのご意見ご感想、嬉しかったです。
 ご覧頂けなかった皆さま!いつかきっと、ぜひご自分の眼で生でお確かめ下さい。それまで約束は終わりません。

 

※ 和太鼓★新紀撃02公演では、最初にお声を掛けていただいたプロデュースの黒崎八重子さま、共催のカメリアホールの皆さま、お手伝い頂いたたくさんの皆さまのお陰で無事終えることができました。本当にありがとうございました。

※この公演を持って全国へ、特に関西へはぜひ行きたいのですが、主催協力して下さる方、お声をお掛け下さい。大阪の人に一度見て頂きたいです。呼んで下さ〜い!

『約束』 編曲/内山有希夫 振付/山中陽子

■写真はすべて和太鼓★新紀撃02の舞台(12月14日)カメリアホールにて

 Photo/青柳健二

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和太鼓★新紀撃02 写真館

 

 

 

ひとみに光る言葉

12月29日

 曽我ひとみさんがきのう発表した、お母さんへの想いを綴った手紙を読んだ。今朝の新聞に全文掲載されていた。こんなに読む人の心にせまってくる文章を読んだのは、いつ以来だろう。朝からポロポロと、紙面に雫を落としてしまった。
「今日は私のお母さんの71歳の誕生日です。」からはじまり、「いつまでもいつまでも待っています。」で終わる。
 平坦で読みやすくわかりやすい、どこにでもあるような文章だが、お母さんを想う気持ち、そしてお母さんがどんなに優しい人だったのか、そして二人がどんなに慕いながらそれまで暮らしていたのかが、とてもよく伝わってくる。
 冬のある日、吹雪に立ち向かい角巻にくるまって家路を急ぐ二人の姿が温かく描かれ、「一日中工場で仕事をして、夜、家に帰ってくると、ざるを作っていたお母さん」と続く。工場は、たぶん乾物工場だろうか、それとも電気部品だろうか‥‥。ざるは、きっと竹細工のざるだろうな‥‥。この行だけでも、特に佐渡に住むじいちゃんばあちゃんで、読んで涙を流さない人はいないだろう、と思ってしまう。
 この二人が北朝鮮に拉致され、今年、娘だけが帰り、母が行方不明のままだ。
 連日すべての報道機関で取り扱われるけれど、もうこの手紙だけで他の報道はいらないと思ってしまうほど、惹きつけ訴える文章の力、言葉の大切さを感じさせた。そして、すごい!と唸った後、この文章を見て「うちで出版させてくれ」とすぐ行動した編集者がいったいどのくらいの数あっただろうとも思う。ひとみさんは静かなお正月を過ごしたいと言っているんだから、せめてお正月三が日だけでもそっとしてあげて欲しいと願う。

 24年前、僕が佐渡に渡ってから一年が過ぎようとしていたその夏に、当時僕が住んでいた場所から六キロほどしか離れていない所で、あの美しい真野湾から連れ去られたひとみさん母娘。とても人ごととは思えないが、当時の僕はそんな事を知るすべもなく、そこから近い陸上グランドで汗を流し、その後も11年間真野町に住んでいた。僕たちには知らないことがたくさんある。ひとみさんの一つの手紙だけでもたくさんのことを知らされた気がする一方、他の拉致された、それぞれ一人一人の想いをたどると胸がつまる。
 
 北朝鮮に関しても以前は少し友好ムードが漂った時期があったが、今はまた悪役扱いだ。本当にこのままでいいのだろうか?そこからどう何を想像できるか、互いのことを思いやる気持ちが、人を動かすのではないだろうか。 ひとみさんの言葉はそれを示している。

■曽我ひとみさんは僕より二歳年下だが、他の拉致被害者はほぼ僕と同じ年で彼らは皆同世代だ。彼らの姿を見るたび、僕の24年間の歩みを振り返り、ひとみさんの場合は、懐かしい当時の佐渡を思い浮かべてしまう。


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インターネット版 『月刊・打組』2002年 12月号 No.81

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