僕の青春の在処はまぎれもなく佐渡にある。
20歳から32歳までの間、旅が多かったとはいえ、帰る場所はここ以外になかった。その場所を離れてもうすでに14年になろうとしているのに、いまだに夢だって見る。
登場人物こそ現在と過去の人々が混然と、ハチャメチャな意味不明の会話をしていたとしても、背景は鮮明だ。
食堂であったり、台所に畑、稽古場、自分の部屋に風呂場、そういう場所は僕の夢の中でちっとも色あせてはいない。気持ちの悪いほど現実世界のように写る。だから「これは夢だ夢だ」と布団の中で何度も自分に言い聞かせている僕がいる。
その佐渡島へ、行って来た。
25周年記念のゲストとして出演していただく藤本吉利さんと稽古をする為だ。こういう機会でもないかぎり僕が再び訪れることはなかったかもしれない。
ただ「遊びに来ました〜」と言って昔からのメンバーと顔を合わせられる勇気はない。理由が欲しかった。その意味で25周年の機会はまたとないチャンスだったろう。
こんな僕の胸中ドキドキ感とはうらはらに、吉利さんなどは、あまりにもアッケラカンとしていた。
新潟・直江津港から「こがね丸」に乗り、日本海を渡った佐渡・小木港に到着した僕を迎えに来てくれた吉利さんは、まるで昨日までいっしょに生活していたような、いや今でもこの近くで生活していて買い物帰りの連れを迎えたような気安さだった。
「何年ぶりや?」
「ええっ!もうそないなるか‥」
お互いに流れたこの間の年月はなんだんたんだろう‥‥。僕は佐渡に到着したものの雲の上を歩いているような気分だった。
着いた日、鼓童村本部の食堂でお昼をいただく。
ここには僕は馴染みがない(僕が鼓童を離れた時には鼓童村の本部棟があっただけで、その他の建物はなかった。だからここでは稽古をしたことも住んだこともない)。あまりに多くの人がワサワサと自分の仕事をし、時間を過ごしていた。
午後、吉利さんのお宅前の庭でまず初稽古を行う。
聞けばどこで音を出してもいいという。ということはすべてが稽古場ということか?苦情がどこからもこない場所が佐渡にはあった。恐るべし自然の包容力だ。
その日の夜、AちゃんにSちゃんといった気心知れたメンバーが吉利さん宅に来てくれた。吉利さんの奥さんでもあるYさんもいっしょだ。こうして四人顔を合わせ、ぼつりぼつりと話していると、どうも不思議な錯覚に陥ってしまっていけない。
え〜と、オレって誰だっけ?あれ?鼓童のメンバーだったっけ?いやいや違う違う。まさか、そんなわけはない。でもよく判らない自分になっていた。
鼓童を辞めて14年にもなるけれど、こうして話しているとちっとも時間の経過を感じない。みんな普通だった。
二日目、小木町の公共施設をお借りして朝から夕方まで稽古。
ここで内容を決めなくては、もう今度吉利さんと会うのは7月5日の前日なのでけっこう集中していたと思うが、どこかのんびりもしていた。
吉利さんと二人でいるとそれだけで落ち着く。何でも任せられる兄貴といられる安心感だろうか。楽しい稽古だった。
それでこの日は夕方から近場にある温泉風呂に浸かりながらここでも二人で、ああでもない、ここはこうしようとかいう会話がちゃっぷんちゃっぷんと音を立てて湯船の上で流れていた。
夕食は近くのすし屋へ。
これが美味い!昼は念願のソバも喰ったけれど、佐渡はほんと安くて美味いものがたくさんある!過去にここで味をしめたせいか、東京などで食べてもなかなか旨いと思うものに行き当たらない原因がここにあると思う。
夜、僕が初めて会うメンバーや研修生が訪ねてきてくれたのでお茶会となった。
彼らは僕が叩く「三宅」などのビデオをかなり見続けているらしく、その本人が来たので物珍しくなり顔を見にきた、という感じだった。
二十代の僕と今の僕とではまるで違うのである。特に会話が弾むわけでもなく妙な時間が過ぎた。
翌朝、朝食後に最後の打ち合わせをやり稽古を終了させる。後は東京で!
鼓童村にあいさつで訪ね、その後、真野町の鼓童を訪ねる。僕にとっての鼓童は真野町にある。
Sちゃんの運転で車を走らせる。
もう道すがらずっと懐かしい。ここは昔といっしょだ、ここは違う、あれがまだあった!と助手席で興奮する僕。
倉谷を過ぎて、大立のバス停、そして小立。何年もずっと走り続けた道がここだ。そして青空。ありがとう、と叫びたくなるほどの空色だった。
そして、真野町大小の小高い丘に立つ廃校となった元小学校に着いた。 思わず嬉しくなって、庭駈けまわる犬のように、玄関前から坂道や石段を駆け上がる僕がいた。
何が嬉しいのだろう?懐かしいってこういう事か?
何を見ても感心しては自然に顔がほころんでいる僕。目にするものの一つずつに想い出があるからだ。今はこの建物にはほとんど人が住んでいないという。事務所に使われたり、稽古場も時折使われる程度だという。
今は人の気配は希薄になった。
かつて一番の生活の場だった食堂兼居間も老朽化して取り壊され、僕を励まし育ててくれた稽古場も防音設備が取り払われ装いが完全に変化していた。しかし、過去にここで生活していた姿が、風景が、僕の眼には焼き付いていて離れない。はっきりと見える。
あいつはまだここで暮らしているのじゃないかって思えるくらい、青春の日の僕の姿がここに見えた。
ただ、
御不浄だけは残念だった。
小学生用に造られた小振りの小用に、汲み取り式が並ぶ木の床の便所。稽古場の横にあるドアを開けた時、その広々とした、夜には裸電球が点り、また月光との遊び場所でもあった場所は、姿を消していた。そこで僕の気持ちも現実的な今に立ち返った気がする。
その後も、昔通った美容院に顔を出し、ツケがきいたスーパーのおばさんと話し、港でうどんを食べ、最後は両津から船に乗って島を離れる。
25年を振り返る時、どうしても再訪したかった場所が佐渡だった。二泊三日の旅はまだ夢の続きのように思えた。
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