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富田和明的個人通信

月刊・打組

リクエスト公開 No.5(10月8日 発行)

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『淡路公演・島風に誘われて

1997年3月29日   

 淡路島で初めて太鼓の公演をしたのは、1981年5月。まだ佐渡國鬼太鼓座の名前の時だったが、その年の9月から鼓童として独立することが決まっていた微妙な時期でもあった。
 島に呼んでくれた主催者は淡路労音で、僕の母校・津名高校ブラスバンド部の後輩がリーダーをしていた。公演会場となった洲本市民会館で思いだすのは、ここのホールは二階にあって、搬入口から舞台入口までは見上げるような長い階段を登らなくてはたどり着けない。
「設計者を呼んでこい1」と怒鳴りたくなるのはこんな時だ。しかし設計者はいない。するとこの怒りが脱力に変わるのに時間はそうかからない。普通ならそうなのだが、そこは主催者も心得たもので、搬入お助け隊が待機していた。それもただ手伝うというレベルではなく、何も言わないうちに、トラックに乗っているものは全部勝手に持って上がってしまう、走りだしたら止まらない猪突猛進積極これでもか派部隊だった。
 僕たちメンバーはあっけにとられ、(高野)巧さんなどは刺激され意地になって競うようなスピードで道具を運んでいたが、ほとんどのメンバーは作業の指示をしているだけで終わった。しかしこの時、大太鼓を乗せる屋台の横板をl人で担いで舞台まで持ってきた人がいて、この姿を見て、僕たちば歓声を上げた。
 普段、これを僕たちは4人で運んでいたからだ。この驚きが今でも忘れられない。
 淡路島を離れて6年、鬼太鼓座に入って3年半、まだ舞台では新人の部類だったので、一人での見せ場はなかったのだが、この日だけ特別に三味線の短いソロ(当時は4人で弾いていたが、主はハンチョウと英哲さんで、僕と克次さんは脇に座っていただけ)とアンコール酒屋唄のソロをやらせてもらった。客席には僕の名前が入った大きな横断幕が垂れ下がり、恥ずかしくてしかたがなかったのだが、最後に僕だけ花束をもらい嬉しかった。

 2回目に訪れたのは、鼓童になって5年が経つ1986年ll月、淡路島南部、三原高校での学校公演だった。
 ここは僕の母校でもなく普通の学校公演だったが、地元新間に大きく取り上げられ、学校の体育館であったにもかかわらず、入場者が1950人にもなり、よくこんなに入ったもんだと驚くくらいの人だった。これに触発されてか僕の本当の地元・津名町でも公演することになり、それが翌年87年11月のことだ。
 当時、町にホールがなくて津名高校の体育館を使用したが、ここは僕の実家から歩いて2分、走ると30秒ほどの場所で、これ以上の地元はないだろう。元々の舞台は狭いので前に張り出し舞台を作っての公演だった。昼が学校公演で夜が一般公演、超満員で熱気ムンムン。ご近所・親戚・同窓生など総出で客席を埋めていたはずだ。
 公演の内容はハンチョウが演出した最後の舞台で、その年の9月4日に始まった秋の国内ツアーがずっと続いていて迎えたこの日だった。鼓童メンバー13名(出演者ll名、舞台監督1名、制作部マネージャー1名)と照明さんが5名の総勢18名、僕はツアーの疲れも見せずに充分に燃えていた。

 そしてl0年が過ぎた。
 この10年が長いのか短いのかは、わからない。阪神淡路大震災から2年、津名町はかなり速い速度で復興が進んでいる、と言ってよいだろうが、東京打撃団が結成されて本格的な活動を始めたばかりのこの時期に、淡路島で公演が出来たのは本当にありがたく、そして嬉しいことだった。
 今回の公演の正式タイトルは『復興東山寺仁王像修復開眼和太鼓コンサート、富田和明With東京打撃団』と、恐ろしく長いのにも訳がある。西暦819年に創建されたという東山寺の仁王像が震災によって大きく破損し、その解体修復が完成したのを記念しているからだ。普通の和太鼓コンサートではなく、仁王像の御披露目コンサートなのである。
 会場は3年前に完成した「しづかホール」。収容人数800のとても立派なコンサートホールだ。搬入口も、車を横付けにして道具を下ろすと、そこがすぐ舞台下手そでになっている、という誠に素暗らしい設計であります。設計者の方にまずお礼を言いたくなる搬入口です。ただ、クラシック用ホールなので太鼓の音は残響がちょっと気になるが、大震災にも微動だにせず、外観がオーストラリア、シドニーのオペラハウスそっくりなので、遠くから見ても非常によく目立ちます。
 公演前日に僕は淡路に戻ったのだが、会場に入ってまず仁王像の存在感の大きさに驚かされた。実は実物を目にするまでこんなに立派なものだとは思っていなかった。僕の頭の中にあった以前の東山寺の仁王さんはかなりみすぼらしいものだったからだ。向かって右側「阿」と唱えるのが女性で、左側「吽(うん)」と唱えるのが男性だとも知らなかった。台座の上でポーズを決めた仁王像は「これぞ室町時代」と声を掛けたくなるくらいの堂々とした風格だ。
 この像に囲まれての太鼓の演奏になるので、確かにやりにくい点もあったが、相手が室町仁王像なら、こちらは「平成臭う五人男」となって打ちまくった。大風雨の天候にもかかわらず、ホール満員のお客さんに入場頂き、また島外からも多数おいで頂き、感謝いたしております。

 次回淡路公演の機が熟すのはいつなのか判りませんが、太鼓ワークショップだけでも早期に実現させたいと考えています。

(後記/1999.10.8)

あれから二年半、太鼓アイランド淡路もその年から開始し、来年2000年3月には再び淡路島で公演がされます。今度は太鼓アイランド淡路のメンバーも出演します。 太鼓アイランド淡路 『二千年を打つ会』もよろしくお願い申し上げます。

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