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富田和明的個人通信

月刊・打組

リクエスト公開 No.12(2000.6.12 発行)

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『ジャン・ジャン・ジャン

 燃えるソウル合宿  

1998年 8月31日〜9月2日 

 


※焼き肉屋でキム ミョンデ氏(右端)から太鼓談義を聞く打撃団(当時)メンバー

「37年やってるからね」
「それでは先生お年は?」
「37さ、お袋のお腹がこんなに大きかった頃から、お腹の中で叩いてたんだから」
 ソウル風物団(プンムルダン)の若手奏者たちを差して「彼らは10年のキャリアだ」と言った後の、これはキムミョンデ氏(巫俗音楽演奏団『大関嶺(テグァンリョン)プノリ』代表)の言葉だ。
 外見は小柄の色黒で痩せた青年のようだが、焼け跡に立つ少年のようでもあり、踏んでも踏んでも嬉々と咲く雑草のような、そんな野性の臭いのする人だ。

 ソウルに着いて二日目、昨夜は風物団のメンバーから農楽のリズムの基本を習い、今日も同じ風物団の稽古場で、一応は巫楽(巫女音楽)を習っているのだが、二、三時間で何が教えられるのか、何が学べるのか、そんなことは話にもならないことはよく判っている。
 それでも教わるのは、音楽家同士距離を縮めるにはこの姿勢が必要だと思うからだ。
 それにしても通訳なしでやっているので、僕の韓国語レベルでは、ほとんど大事な話は全部判らないし、キムさんが「こんなことは私がご飯を食べるのと同じ(くらい簡単なこと)さ」と言いながら叩くチャンゴのリズムも相当複雑なもので、超基本リズムは別として、僕たちはお手上げ状態で、生徒と言うよりも一観客となってしまうことが多くなった。リズムだけで勝負するとまったく勝ち目がない。
 キムさんも多分に飽きてきたのだろう「ちょっとみんなはどんなの叩いてるの?」と聞かれ、そこにある韓国の太鼓を使って、いつも打撃団でやっている演目をいくつか叩いた。
 それまで何時間か習っていても汗一つかいていなかったのが、一曲で汗ドロドロ状態に僕は変身してしまう。キムさんも嬉しそうにニヤニヤして、さっきまでいなかったはずの風物団団長・チゥエ イグゥアンさんも上の事務所から駆け下りてきたのか突然姿を現している。
 その後は太鼓交流大会となり、日本のドンドコは韓国のヒュモリ、日本のコドンコドンは韓国のサムチェとなる。リズムは同じでも音の味わいの何と違う事よ。
 そのまま太鼓教室の方はおしまいとなり、今回の一番の目的だった国立劇場「日本の太鼓」第二部のアンコールでのジョイントの曲作りに突入したのであった。
 そうなると早い。皆プロなのでこれも一時間ほどで終わってしまい、翌日の記者会見の時にこのジョイントの曲を演奏することになった。

(ソウルに着いて、記者会見が用意されていることを知る。日本の国立劇場出演の為となると扱われ方が違う。この模様は韓国・東亜日報社の新聞記事98年9月4日付けで紹介する)

ソウル風物団-東京打撃団『太鼓の出会い』

・・・22-23日、日本で合同公演

 韓国と日本の太鼓が出会った。2日昼、ソウル 雲現宮では、韓国のソウル風物団と日本の東京打撃団が共演する公開試演会が開かれ、市民たちの足を引き止めた。
 試演会は、22-23日、日本東京の国立劇場で開かれる「日本の太鼓」公演の前に、東京打撃団団員たちが先月31日来韓したことで実現したものだ。「日本の太鼓」公演二部では、ソウル風物団が特別出演する予定だ。
 試演会は、日本笛「しの笛」による演奏の『アリラン』で始まり、韓国のサムルノリリズムと日本の大太鼓演奏が調和し、混ざり合いながら楽しくフィナーレを飾った。
 サムルノリグループの日本公演などを通じて、洋楽の太鼓と一つの舞台に立った事はあっても、二つの国の太鼓が同じ作品で交わることは、(※韓国では)今回が始めてのことだ。
 東京打撃団 平沼仁一代表は「日本の太鼓音楽が直線的リズムを追求するのに比べ、韓国は複合的・曲線リズムを持っている」と、二つの国の太鼓を比較した。

〔ユユンジョン記者/富田訳・※も富田


                              
 ソウルに行って不思議だったのは、韓国経済は日本経済よりももっと深刻なはずなのに、何だか東京よりはよっぽど元気なのだ。少なくともソウルの街のエネルギーは、僕を元気にしてくれたし、他の打撃団メンバーからも皆同じ声を聞いた。
 食べ物の辛さも人々に気合いを入れているに違いない。
 僕は中国時代に胃腸を傷めているので辛いものはほとんど食べないようにしてきたが、ソウルにきて「唐辛子味噌(コチュジャン)を使わないで」と食事の注文時にお願いしても、すでに唐辛子が中に入っていた。しょうがないので用心しながらも食べていたが、これが旨くて止められず、そうすると陽気にしゃべりまくってしまう。そんな饒舌な三日間を過ごしてきた。 


 

『クッ祈り・クッ・クッ

 国立劇場「日本の太鼓」出演  

1998年 9月22日〜23日 

 


※江陵端午祭巫楽団の国立劇場でのリハーサル。後ろに大きな祭壇が設けられている。Photo/S.Kensaku

 第22回国立劇場「日本の太鼓」が終わった。
 今回の僕は、畏れ多くもこの国立劇場大劇場で司会のようなものまで体験でき、第二部「韓国の太鼓」部分だけのことだが、冷や汗びっちょりで、話をすることの難しさと、そして太鼓を叩くこととはまた違う快感も少々得られたのでありました。
 今回出演した一組目の江陵(カンヌン)端午祭のクッ(巫女音楽による儀礼)は、音楽だけを取り出して大舞台で聞いてみると、一般のお客さんにとっては馴染みにくく、その良さが伝わりにくいものだったかもしれない。しかし、日本の民俗芸能の多くもこの20年間にずいぶんと変化してきたのではないだろうか。大舞台での見せ方にも慣れ、劇場の客席で見るお客さんにとっても親切な構成を自然と作れるようになってきた気がする。
 そういう意味では江陵端午祭の巫楽団は、元々の芸能本来のパワーを見せつけたようにも思えるのだ。一日目、まずは71才の長老を中心(チャンゴ)に立て、二日目には一番油の乗ったキムミョンデ氏がチャンゴを叩いた。現地では端午祭の五日間、朝から晩までぶっ通しで演奏されるこの巫楽を、国立劇場ではハイライトだけ30分にまとめるというのは無理な話で、それが一時間に延びても仕方のないことだったろう。
 国立劇場二日目の舞台ではキム氏がきっちりとノリをつかみまとめたが、今振り返ってみれば、一日目の長いと言われた演奏の方が僕には何だか懐かしい。その次に登場した動きの派手な農楽よりも印象に残っているくらいだから、不思議なものである。

 江陵端午祭の巫楽と、ソウル風物団の農楽の演奏の間に、日本のリズムと韓国のリズムがいかに違って、いかに同じなのか?お客さんに感じていただくコーナーを用意したが、そこでは打撃団がまずドンドコのリズムを叩き、そこに韓国側が加わる。打撃団がコドンコドンの三宅を打ち、韓国のサムチェが鳴る。ドコドコと秩父屋台囃子を打てば、ヒュモリのリズムが重なった。同じと言えば同じだが、違うと思えばまったく違うリズムの協調である。
 韓国のは何を叩いてもリズムがうねっていて体が踊り出す。テンポがどんなに速くなっても体の呼吸でリズムをとっているそうだ。
 それに比べて日本的といえる太鼓は、どちらかというと歯を食いしばって、時には息を止めてしまうくらいに力の限り打つ。
 ノリを楽しむ韓国の太鼓音楽では、極端な話、楽器はどんなものでもお構いなしで、自在に変化してゆくリズムそのものが重視されているように思う。その点、日本の太鼓はリズムももちろん大事だが、それよりも太鼓の一音一音にこだわりを持ってきたように思える。だから楽器に対する要求も自然と高くなったのではないだろうか。
 今回来日した韓国のメンバーに、打撃団の演奏の感想を聞いた時、まず最初にその口から出たのは、「太鼓の音がどうしてあんなにいい音なんだ?」という言葉だった。
 フランスW杯閉会式での共演に続き、打撃団と韓国の交流はまだ始まったばかりだ。


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