富田和明的台湾太鼓通信
優表演芸術劇団の活動に参加して
7月28日〜8月1日
日本に一番近い外国・台湾。 空港に降り立っても沖縄にでも着いたような気分だった。
一日目は、朝9時半過ぎに横浜の家を出て成田空港まで車で走り、駐車場に預ける。 成田の駐車場代がビックリの安さで、二人以上一緒なら高速代燃料費を含めても車の方が安い事に驚いたし、海外旅行保険もネットで入会すると以前に比べ半額に近い、それに携帯電話も現地空港受け取り戻しサービスだと5日間で2,000円程度だ。 そんなことに感心しながら台北に着いた。
格安パック(飛行機+ホテル)でもお迎えがある。なんと楽チンなことか。 その変わり時間がかかる。 いろんなツアーをまとめてのお迎えなので、僕のホテルに送ってもらうまで四カ所のホテルにバスは寄り、空港着は5時前だったけれどホテルに着いたのはもう8時だ。 ガイドさんと中国語でお話をしまくって、・・・会話に早く慣れたかった。そんなことをしていると時間が経つのは早い。 チェックインをしてさっそく夜の街へ、お散歩。 着いた第一日目は、お金の感覚がまだ掴めない。 台湾元・1元が、日本円にして、約3.6円。2700元が1万円。街に溢れる数字にまだ戸惑う。安いのか高いのか分らなくなって失敗することが多いので、とにかく、あまり使わないで見て歩く。 一番ビックリしたのは(たいしたことではないのだけれど)、コンビニの数の多さ。特にセブンイレブン。ファミリーマートも多いけど、とにかくセブンイレブン。ホテルの周辺にも角角に並ぶ。台北は過密だ。
小さい店も美味そうなのだが、初日に屋台で食べて腹を壊すのが嫌なので、まっとうなレストランで普通の中華を食べる。んでも美味しいの。
翌日から一人なので、ここまでは家族サービス(って程でもないけど。上さんも言葉は問題ないので一人で色々行きたいらしいけれど子守りなのでぼやいているので、それをなだめる)。 ホテルの部屋では、興奮して暴れている子供たちを無視して先に寝る。 明日は、太魯閣へ出発です。
ホテルから台北駅までは、約二キロ。タクシーに乗ったが、台北の車運転術は刺激的だ。後ろ座席に乗っていても恐ろしい。 バイクの波にブチ突入するかのように前に進み、横からバスが迫り込んでくる。横から後ろから、いつぶつけられるかとヒヤヒヤしながら、前を見ながらも危うくバイクが飛び込んできて、僕は声を上げた。 「いつもこんなに危ないのか?」 「こっちは大丈夫だ!」運転手は嬉しそうに後ろを振り向いて答える。 「前を見て!」僕が叫ぶ。
僕が買った列車のチケットは、台北8:38(自強号1061号)発だ。 改札の中に入ってもセブンイレブンがあって、水とティッシュを買う。 列車に乗り込むと冷房が効きすぎていて寒いくらい。 座席指定だが、空いている席には自由に座っていていいようで、僕の席にも座っていた人がいたが、僕が行くとサッと席を立った。
台北から新城に向かう途中で買った駅弁
途中に見た海岸線・東海岸は手つかずの自然に思えた。照りつける太陽の下、九十九里浜のような海岸(全長124キロ)に人が一人も見えない。なぜだ?暑すぎるからか? この浜で泳いでみたい、そう思うのは無謀なことなのだろうか・・・。 この特急列車で約二時間四十分走る。
花蓮駅の一つ手前。新城駅で下車
駅前に翌日のコンサートの看板があった。
タクシーの運転手に撮ってもらう
ここからタクシーで10分ほど。集合地の太魯閣国家自然公園管理所に着く。 「太魯閣」と書いて「タロコ」と読むのは日本語かと思っていたら、先住民族の言葉でこの土地の名称がタロコだった。太魯閣は漢字の当て字。 この日の朝6時に台北をバスで出発したという優劇団の皆さんが、一足先にここに到着して受付をしていた。
よくある受付風景である
ここで日本にいた時、電話で何度も話をしていたCさんやHさんと会う。とても歓迎してくれたけれど、忙しそうであまりゆっくりと話はできない。パンフレットやらスケジュール表をもらう。 どういう活動なのか、今一つ掴めなかった僕だが、ここに来てやっと分かった(遅すぎるか?)。 この優表演芸術劇団は、歩くことを大きな活動の一つにしている劇団で、今回はこの優れた自然公園である太魯閣国家公園が主催する自然探索ツアーに全面協力しているのだ。 宣伝から受付、歩くことの先導、そして最後の夜にコンサートの開催。 僕が参加したこの合宿の一般参加者が50名ほど、それに劇団関係者が25名ほど、公園関係者も30名ほどその他が加わり、全体では100名を越す人が一緒に動く。
午後二時に受付があって出発は三時過ぎになった。 マイクロバス七台に救急車まで付く。パトカーから白バイまでが先導しているし、マスコミの取材陣まで一緒だ。
移動途中の休憩地にて
初日は、車でずっと山を登り、二日目は歩いたり、車に乗ったりで山を下りてくるという。 この日は、バスで二時間半か三時間、渓谷の道を登った。 それぞれのバスには一人づつ解説委員と劇団スタッフが乗っている。このツアーの参加者は、やはり劇団に興味を持っている人やファンが多かった。台北を中心に全国から集まっていた。日本人は僕一人だったけれど。
「どうしてあなたはこの活動の事を知ったの?」 「ホームページを見たんです」 「そうなんですか、よく来ましたね!」とみんな言ってくれるけれど、特別扱いは何もない(当たり前)。
タロコから川を登ると先には標高3,000メートル級の山もある。この日の宿は2,500メートルを越していて、充分涼しいし、頭も吐き気はないけれど、なんだかフワフワしていた。空気が薄いのが判る。人によってはここでも高山病になるらしい。 日本で言う国民宿舎のような山荘に泊まる。
霧に包まれた「観雲山荘」。雲の中なのかもしれない
夕食の時、劇団の代表Rさん(僕と同級生だった)や太鼓作曲指導のHさん(マレーシア生まれで香港で活動していた時に、Rさんと出会う。元々は獅子舞の打楽器チームにいたらしい)らと一緒に卓を囲んで食べたが、まだ公演を見たこともないし、何を聞いてよいものやら・・・。話が出きる時間も少なかった。酒類はなし。 夕食後の活動は二本立てで、まず国立公園の自然環境(動植物など)の説明などをスライドを見ながら一時間聞く。解説委員が本当に楽しそうに説明していて、それをまたみんなが楽しそうに聞いていた。これは30年以上前のユースホステルノリか?と思ったほど。 その後、劇団代表のRさんからのお話。 「まあみなさん気楽に聞いて下さいね。このお香は特に意味は無いんだけどこの前日本で買ってきたから(愛地球博に来日した)付けておくわ」と話の前に火を付け、テーブルに置いた。
隣のHさん(右)は一言も喋らずじっと座っているだけ、Rさん(左)は癒しの教祖様のように終始にこやかに語りかける。お二人はご夫婦でもある 「歩くことは誰にでも出来るとても簡単な、でもとても大切なことです。明日、私たちは歩きますけれど二つのお願いをします。一つは歩くときにはできるだけ喋らないで、自然の音をしっかり聞きましょう。もう一つは、感じて下さい。大地、風、自分の声、なんでもいいんです・・・・」などなど。 とても太鼓チームのミーティングとは思えない、心のお話。 日本の鬼太鼓座は走ることで激しく自然と自己に接したが、この台湾の優劇団は静(せい)だ。 なぜ私たちは歩くのか、またどんな活動を行って来たかということの説明があり、最後に目を閉じて「禅座静修」というのがあった。
Rさんの指導で目を閉じて座っていると、手で導かれ歩く、あまり説明してしまうと興が冷めるのでここでは書かないが、最後に、 「さあ目を開けて下さい」の声で目を開けると、知らぬ間に全員が戸外に出ていた。 見上げた空は、満天の星。歓声が上がる。
標高が高い上にさっきまで辺りを覆い隠していた霧がすべてなくなり、一点の陰りもない空に変身していた。天の川もよく見えた。その空を流れ星がいくつも駆けては消える。 山で見る夜空は格別だが、それにしても大きな歓声を上げる参加の皆さんは非常に純粋に見えた。 参加者の平均年齢は、そんなに若くはない。僕が真ん中くらいだろうか。それなのに、青少年の心のような皆さんだった。台湾の人々がみんなこうなのか、それともこんなツアーに申し込むような人々が変わっているのか、僕には分からなかったが。
明日は朝5時半起床。6時40分に出発だ。車で2,800メートルのポイントまで上がり、そこから歩くという。 27人部屋に布団を並べて、僕も寝る。寒いので、持ってきた服とズボンは全部重ね着をした。 星空の下、遠くで誰かが気持ちよさそうに唄を歌っているのが聞こえた。
27人部屋というのは、9人が下に二列で布団を並べ、 一列は二段になっていて上にも9人が並ぶ
元々睡眠が取れない神経がひ弱な僕だからなかなか眠れない、その上にイビキだ! もの凄い轟音が部屋全体に響いていて、部屋ごと空を飛んでいるかのような錯覚を起こした。 あんまりにも眠れないので午前三時頃に一度、起きてみた。 昨夜の星空が、夜明け前にまたどんな見事な空になっているのか、ちょっと気になったこともある。
外に出ると‥‥。 月が煌々と照りつけ星の一欠片の姿もない。 明るすぎる。 深い影が地を染めていた。 諦めて布団に戻った。
それからまたうつらうつらしながら、辺りのざわめきを感じて覚醒した。 時計を見ると四時を少し過ぎたところ‥‥、すでに周りの人たちが起き出した。それも楽しそうに。 五時半起床じゃなかったのか? 遠足前の小学生と同じノリか、準備が早い! 僕も起きることにした。そんな訳だから起床時間には皆もうすっかり起きて出発準備が完了している具合だった。 朝ご飯は、昨日のうちに貰っていた弁当だ。これは不味かった。 かつて人間ポリバケツと言われたこともある僕でも食べられなかった(三個しか)。一緒に付いていたドリンクも日本にない不思議な味がした(一応全部飲んだけれど)。 早く起きても、出発は6時40分だ。
朝の第一ポイントに向かう。 紺碧の空!太陽が眩しい。標高2,800メートルの空って、こんなに輝いているんだ! 昨日の星空より、僕はこの青空により感動した。 バスを降りて、歩き出す。
先頭には「優」と白地で書かれた紅の三角旗を棒にくくって掲げる劇団員。そして小さいドラを持つ人。そして劇団代表のRさんとHさん。 ドラの音が、出発の合図だった。
それから100人を越す人数が、山の峰を歩く。黙々と。
空気が薄くて呼吸は少し苦しいが、ゆっくり歩けばいい。気分はとても晴れやかだ。 尾根はなだらかだったり急だったり、一番高いポイントまで歩いてそこでしばらく休んだ。 太陽の光。 風の音。 空の匂い。 そこに息づく生命を感じる。
そこから下山する、少しずつ。 登るよりは楽だろう。それぞれのスピードで歩くが、僕は旗の近くにいたい気分で先頭にくっついていた。 なにも考えない。
どのくらい時間を歩いたのか、下に休憩所のような広い駐車場が見え、そこに太鼓が大小20台ほどか‥‥並べられて、陽に晒されていた。 「嗚呼、太鼓だ〜」と嬉しくなってそこまで早足で駆け下りた。
お昼の前に、「太鼓演奏」があるのは知っていたがどこであるのか分からなかった。絶景のロケーションだった。ここまでトラック隊が別に太鼓を積んで来て待っていたのだ。
みんなが下りてくるまでの時間、太鼓を見た(勝手に叩くわけにもいかない)。 僕がこれまでに見た台湾製のどの太鼓よりもしっかりした台湾のプロ仕様、と見て取れた。
ここでの演奏は二曲。 僕にしては待ちに待った生の太鼓演奏を聞く機会だったので、当然期待した‥‥‥が、一曲目の「流水」という曲は、構成の順番を変えてあるけれど僕には石井眞木さんのモノクロームにまるでそっくりに聞こえた。 演奏は悪くなかったけれど、これでは気持ちが萎えた。 嫌な予感だ。
二曲目は、日本でもさんざんやっている組太鼓形式の曲。 下手ではないけれど‥‥‥、これではオリジナリティがどこにあるのだ?
二曲目「奔騰」
自然環境は抜群だったけれど、僕の心は躍らなかった。
ショート公演の後に、参加者関係者と記念集合写真
「ちょっと、太鼓を叩いてもいいですか?」 写真を撮った後、劇団の人は着替えで戻り、太鼓をトラックに片付ける前に、僕は太鼓を叩かせてもらい落ち込んだ気持ちを少しでも晴らした。
その後、時計を見たらまだ10時半。 なのにもうお腹がペコペコ。朝が早いと昼までのなんと長いことか。
それから車に乗り込み移動しては、歩く。を繰り返す。 やっとお昼の時間になった。 劇団のスタッフに昼の弁当はいつ貰えるのか聞くと、
「トミダさん、もうお弁当は配ってありますよ。ぜんぶ食べちゃったの?」 「えっ、朝ご飯しかもらってませんけど‥‥」 「昨日渡したのは、朝、昼兼用の弁当なんですよ〜。全部食べたんなら、あまってるのがありますから、これも食べますか〜?」 仕方なく残りのパンを口に入れた。
だんだんと移動と、歩き疲れと空腹で頭がぼんやりして来たところで休憩地に着く。
樹齢3,200年といわれる大木は「碧緑神木」と崇められている ここでは時間がずいぶんあったので、さっき太鼓を叩いていた劇団員の一人(たぶんNo.2らしき男性)に失礼にも疑問をぶつけてみた。いきなり太鼓指導者のHさんには聞き難かったからだ。
「さっき見せて貰った一曲は、日本の太鼓の曲とそっくりでしたが、影響は受けていませんか?」 「私は太鼓を叩いて13年ですが、そのことについてはよく分かりません」 「二曲目の太鼓の曲も、日本では非常に一般的な太鼓スタイルで、正直、面白さを感じませんでしたが‥‥」 「鬼太鼓座も鼓童も、台湾での公演を見たことがありますが、影響をどう受けたのか言葉にするのは難しいです。でも、自分たちは劇団で太鼓専門のチームではありません。芝居もやり、踊りや武術などもやります。さっきの演目ではあまり特長が出せていたとは言えません。他にもたくさんの演目があるんです。夜の公演では、もっと自分たちの特長を出せると思います。ぜひ見て下さい」
彼は少しムッとしながら僕の質問に答えてくれた。 劇団のプレイヤーは13、4人で、他にスタッフを含めて20人ほどが劇団からの給料で生活している、れっきとしたプロ集団だ。 集団生活ではなく、住まいは別々だが台北の自宅から劇団に通っている人が多いと聞く。他にも練習方法などについて話し始めたところで、出発の時間になった。 そうか‥‥。 彼らの夜の公演を見てから、また話を聞きたいなと思った。
そして、また車で移動したり、歩いたりで、山をゆっくりと下っていった。
タロコ付近では道路が混雑して歩くことも容易でなくなる。 最後は儀式的に、ゴールの手前一キロほどを歩く。 今日は朝から澄み渡る青空ばかりを眺めてきたのに、ここにきて雲行きがかなり怪しくなっていた。下界に下りたとたん、今にも雨が降りそうな空が待ちかまえていた。 太魯閣国立公園管理所近くにくると太鼓の音が聞こえた。 広場に作られた特設ステージの上で、優劇団の少年太鼓隊が先にリハーサルをしていたからだ。太鼓の音を耳にするだけで元気になる、って不思議だな。
管理所前で解散式。 「歩く活動はここまで、皆様お疲れさまでした。でも忘れないでくださいね。最後に我らが優劇団のコンサートがありますからね。しっかり見て楽しんで下さい!」 主催者のあいさつに参加者から歓声が上がる。 時間は夕方4時半。 僕はフラフラ、お腹が減って・・・。5時には弁当が配られると聞いたが内容に期待は出来ないので、先に自分でレストランに行って鶏カレー風煮込みライスを駆け付け二杯食べた。 公演は6時開始なので、劇団のメンバー・スタッフは休む間もなく慌てて公演準備に取りかかっている。そうしている間にも雨が降り出し、本格的な雨になる。
暑かったし汗もかいていたので気持ちの良い雨だけれど、太鼓にはよくない。ステージに屋根もついていない。 日本では野外コンサートが開かれる時、今ではほとんどが屋根付きになっている。雨が降ってもステージには雨が出来るだけかからないように配慮されるからだ。でもここにはその屋根がなかった。 公演を見るためのお客さんは、次々と列を成して下から上がってきていた。
そうすると、舞台の上では、荷物梱包用の特大サランラップ?を持ってきてすべての太鼓にグルグル巻きだした。 雨が降っても公演は決行されるようだ。 夕立かと思われたが、その降っている時間が長い。日本でなら、この雨の中太鼓は叩かないだろう。プロの太鼓集団ならどうだろう・・・。 雨は止みそうにないけれど、お客さんは集まっている。ここで中止にするのか、それでもやってしまうのか・・・。 僕の心配は無用だった。この日、雨が降りしきる中、定時に公演が始まったのだ。
お客さんはカッパを着たり傘をさしたり、そのまま濡れていたり、気にしていない。 観覧無料のイベントだけれど、僕が感心したのは、客席誘導のスタッフなどいないし特設トイレもない。人だけがやたらいるのに、会場に混乱がないことだ。 お客さん同士が「そこの人、傘を閉じて!」「子供は座って!」「そこに登るな!」「キチンと並んで!」などと声をかけ、注意しているからだ。またその指示をみんなよく聞く。 5,000人以上はいるのではないだろうか・・・。主催者は何万人とか言ってたけれど。 主催者の司会が出てくるだけでも、客席から熱い拍手!そして代表あいさつがあって優劇団の太鼓演奏が始まる。
最初の二曲は、これが初舞台になるという劇団少年部の太鼓。劇団のメンバーもサポートに入っていた。 日本でも各地でのお祭りでよく叩かれる創作太鼓と様は同じ。 僕は何も感じないが、お客さんはこれだけでもう大喜びなのだ。待ちに待った太鼓!というワクワク感が僕にも伝わる。 何しろこの雨が降りしきっている中で、これだけの人たちが座って見ていることだけとっても、お客さんの熱さは分かる。 ずぶ濡れの子供たちとのジョイント前座演奏が終わってからが、正式なコンサート。
中盤で大太鼓(四尺ほどの大きさ・胴はくりぬきではなく張り合わせ)が舞台の中央に一台、ゆっくりと移動された。 よ〜し、いよいよだな〜 チラシや看板の中心に大太鼓の写真が使われているので、やはり期待していた。どんな演奏なのか・・・・・。 上半身裸になった二人の男が、太鼓の表面と裏面に向かい、叩き出す。 大太鼓もサランラップが巻かれたまま。まだ雨も降っている。そこに振り下ろされるバチ。聞こえる音は、生音ではなくマイクを使っている。
・・・・? ずっと静かな演奏だった。 テンポが上がったり追い込んだり音が大きくなったりするものの、僕にとっては静かな印象でしかない。当然、僕の気持ちは熱くならない。 日本では当たり前の、力を振り絞って叩くスタイルではなかった。 演奏途中に声を掛けたり、拍手をするようなタイミングもない。
あの黙々と青い空の下歩いてきたその道程を思わせる、禅僧のような落ち着きだった。
一曲一曲、彼らの演奏を見聞きするたび、彼らの太鼓スタイルを少しずつ体に理解させている、そんな気がした。 熱くはない。癒し系とでもいえばいいのか・・・。
僕がいいと思ったのは、太鼓に向かって戦うような武術を見せたもの、そして長棒を持って太鼓を叩いた曲だ。台湾まで来て、今まで見たことがないものに僕は飢えていた。
彼らは武術、踊り、演技が出来る。 それをもっと全面に出した公演なら世界に通用するだろう。 男性は全員がムキムキではない無駄のない見事な体だ。 その彼らが少林寺など拳法を取り入れた静と動のダイナミックな演技で太鼓を叩けば・・・・。すごい太鼓チームに変身すると思う。その兆しは今でも充分に見えた。
公演中盤から、やっと雨足は弱まり、そして止んだ。 野外ステージの上に屋根がないということは、後ろが丸見え。 彼らが屋根を作りたくなかった意味が分かった。
舞台のバックは三千メートル級の山々がそびえる渓谷なのだ。 雨が降っているときには、真っ黒い雲が覆っていた。その雲が流れ、白い雲が山にかかり、そしてその雲も動いた。 太陽が沈んだ余韻を空に残して、空を、山を、雲を染めてゆく。 ゆっくりと夜は更ける。 彼らの演奏をこの空が見守っていた。 そして最後の曲では星が瞬いている。
アンコールは唄だった。たぶん先住民族・タイヤル族のだろうか。 女性の美しく、そして明るい歌声が響く。 その歌声に、太鼓の音が加わってくる。 こういう曲作りも日本のグループが行っているものと変わらない。 日本でも世界の音楽から色々なスタイルを学び、自分たち流に表現してきた。音楽は世界共通、つながっている。 優劇団は、台湾の大地を歩く活動を通して自然と、自分と、対話することを学び、それを太鼓を叩くことにも活かしているようだ。 すでに台湾の特色も出てきている。これから更なるオリジナリティーが生まれることだろう。
彼らの一番の意義は、彼らのその行動存在が、台湾、そして中国の旧来の太鼓世界を変えてしまうのではないかと思える事にある。 僕は鼓童時代の1983年から何度も公演で台湾を訪れた。他にも日本のたくさんの太鼓チームが台湾を訪れていることだろう。そしてその蒔いてきた文化の種が台湾で今開こうとしている。そう見ても驕りにはならないと思う。 台湾には日本の文化を素直に感じ受け入れらる土壌がある。中国大陸には残念ながら、それは薄かった。 でも、この台湾の太鼓劇団の彼らが叩く太鼓は、大陸でも素直に受け入れるのではないかと思うのだ。同胞の文化になっている。 中華民族でもここまで演れる! そう一度確信したら変化は速いのではないだろうか?
これまでの中国の太鼓は、胴が薄い木材の張り合わせで音の響きが少ない。そしてバチが細くて小さいものばかり。振りが重視され踊るようなものが多い。 太いバチで、音のよく響く太鼓を力強く叩けば、これはこれで「こんなに気持ちのいいことはない」と体で知れば、キット中国大陸でも、太鼓文化が革命的に変化してゆく、そう思えるのだ。 台湾の優劇団「優人神鼓」はその扉を開けるグループに間違いない。
次回■太鼓合宿 叩く見る聞く笑う語る〜 Oh!太鼓 第13回 優表演芸術劇団 富田解説付きビデオを夜間懇談会にて上演いたします 『トリオ・打・太鼓』冬物語 12月3日(土)〜4日(日)
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インターネット版 『月刊・打組』 2005年9月号 No.104
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