2007年 11月号 No.115(10月30日 発行)
アメリカワークショップ旅2007
六年振りの太鼓アイランドUSAカルフォルニア
ブログ「その日の気分打!」をまとめたものです
無事にアメリカ到着。初日から天辿(てんてん)太鼓でスタート!
10月15日(月)
飛行機で約8時間、カルフォルニアのサンフランシスコに到着しました。 その後、左右人差し指の指紋捺印と、カメラ撮影付きの入国審査を受け、アメリカ入国。
車で約二時間、ワインの里・ソノマカウンティーにあるホントン博子さんの自宅に到着しました。 午後からさっそく二人で打ち合わせと、かねてから準備していた、新作「祖野間神楽」の歌詞を完成させました。
『SONOMAに祈る』 作詞/博子HONTON 補作詞/富田和明
風が舞う 雲が集いて 天の恵み 願いを込めて 叩けや踊れ
金色(こんじき)に 稲穂輝く 大地の恵み
想いを込めて 歌えや踊れ
叩けや踊れ 叩けや踊れ
歌えや踊れ 歌えや踊れ
声をあわせ 心をあわせ
願いを込めて 天に祈る
想いを込めて SONOMAに祈る
ワークショップは天辿太鼓の皆さん8人と、太鼓アイランドUSAカルフォルニアの開幕となりました。 稽古場は、横浜の富田自宅よりもずっと広い、ホントンさんのガレージです。
私、まだ眠い・・・。時差ボケ中・・・・。 只今、現地時間15日の午後10時22分。
日本は16日の午後2時22分なり。 温かい皆様に囲まれ、始まりましたよ! |
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また書いちゃいました、SONOMA御禮打!
10月16日(火)
アメリカに来ても書いてしまいました!
書道家でもないのですが、デカイ字というのはそれだけで気持ちがよくて、 こちらに来ても、頼まれてもいないのに書いてしまいました。 もちろん、紙も道具も持参です。
よく見回したら、ホントンさん宅のガレージ(こちらでは「ガラージ」と言ってます)は、僕の自宅の4倍ほどの広さでした。
縁囃座(えんそうざ)の杉本敬(たかし)さん宅で遅いお昼ご飯を食べ、日本の太鼓談義。 なにしろこの杉本さんも僕と同級生で同じ歳。
ベッドルームにも古いポスター(僕も写っている)が張りまくってありました。
※杉本敬さんと
稽古は夕方6時から10時前まで、びっちり。 内容はあれやこれや、三味線尺八笛太鼓、それやかんやと、人数は四人なのですが、皆さん日本の伝統芸能が大好きで(日本人は杉本さんだけです) 、アッと言う間の四時間。皆さんともて熱心でしたよ。 またソノマのホントンさん宅に帰ってくると、夜11時。
星の輝く音が聞こえてきそうな気がしました。
これを書いている今は、日付も変わりました。
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日本の晴れ男は、アメリカでも威力が発揮されるのか?
10月17日(水)
今朝は、ゆっくり起きました。が、もうお昼。
こちらのお天気は僕が来てから、あまりよくありません。今は晴れていますが。
雨が降ったり晴れたり曇っていたり・・・そして寒いのです。東京よりもずっと寒い。
暖房なしでは過ごせません。
もちろん僕も冬の格好です。
初日の太鼓稽古では、両膝にホッカイロも張っていました。
写真の太鼓はすべて手作り。
桶胴と太鼓の皮を買ってきて自分たちで皮を張って鋲を打ち金具を付けるのが、こちらでは一般的です。
太鼓を丸ごと作っているグループもありますが、普通はパーツを揃えて組み立てる感覚です。
ですので皮の張りはプロ使用に比べると緩いのが多く、響きもドラムと太鼓の中間くらいでしょうか。
天辿太鼓はまだ生まれて一年、最初は3人から始めて今は8人?太鼓もずいぶん増えていました。
「テンテン・・・・、」という太鼓の音の響きからこの名前を考えたそうで、それで発足も10月10日にしたということです。
今週の土曜日に、この一周年パーティーを自宅の庭で開催するのです。
自宅の庭と言っても広いですよ〜。
※佐渡の城山ステージくらいは立てられそうなくらい。 土曜日、雨は降りませように・・・。現在のところ天気予報は雨です。
日本の晴れ男は、アメリカでも効き目があるのか?
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10月17日(水)
昨日のワークショップは地元・ソノマカウンティー太鼓での開催で、子供クラス、大人大太鼓スタイル講座、抱え桶太鼓講座の三本立てでした。
ここには6年前にもお世話になり、今回で二回目ですがまた新しいメンバーも増え、確実に地元に根付いているのが判りました。
前回は頑張って出来るだけ英語でワークショップをやりましたが、今回は素晴らしい通訳さんもいましたので、もう私はほとんど日本語でやっています。
さすがに私のいつもの駄洒落は使えませんが、笑いの絶えないワークショップですよ。楽しいです。
子供用練習曲『夏が来た』の英語版も出来ました。
※ソノマ・カウンティ太鼓 キッズクラスのみんなと
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10月18日(木)
早いもので、もう旅の後半となりました。
昨日は唯一、ワークショップがない日だったので、サンフランシスコのチャイナタウンに出かけたり(どこに行ってもチャイナタウンにはどうしても行きたくなる習性が僕にはあります)、近場のホームセンター(ここには、お持ち帰り用のドアや窓の種類が豊富で、お持ち帰り用の家まで売っている)や、ワインマーケット(ここソノマはワインの名産地で知られ、周りも葡萄畑だらけなのです)を、ウロウロしたりしていると、それだけで夕方になってしまいました。
そしてこの日だけ、ゆっくり取れる夕食の時間。
ホントンさんは豆腐しゃぶしゃぶ鍋を作ってくれました。昆布出汁が効いて、すごく美味しかった。
ここにいると、アメリカに来ていることを忘れてしまいそうです。
夕食後は、稽古場で土曜日のコンサート打ち合わせ&稽古などをしていると、もう時計の針は10時をとうに過ぎていました。
やはり溜息がでるほど素晴らしいですね、自宅に稽古場と太鼓がある生活なんて・・・・・。
「ここで生活していく上で、本当の仲間を持ちたかったから・・・」
「みんなと基本の練習だけでもずっと、楽しく叩いていたかったから・・・」
一度は離れた太鼓の世界にまた戻ってきて、今度は自宅ガレージを稽古場にし、自分のグループを作ってしまったのです。
そして、太鼓を一台一台、自分たちで作っては、人も増えていった。50歳を前にダンナさんの後押しも得て一大決心をした博子さん。
たった一年で、太鼓の数をここまで増やし、人数も10人に今はなっています。
一年という時間は、短い。早い。
アッという間だけれど、こんなに変わってしまうことだってある。
一年前、まさか一年後にこんなことになっているなんて、とても想像できなかったといいます。
今日から三日間は、またワークショップとコンサートで忙しく駆け抜けます。
こちらでは、まだ金曜日が始まったところです。
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10月19日(金)
昨夜と今日の午前から午後1時まで、バークレーから車ですぐのエミリブル太鼓道場でワークショップを開きました。
このグループの代表は、スーザンさん。
鼓童が北田ノ浦に研修所を作った時の一期生と一緒に三ヶ月過ごした、といいます。
そう言えばいたような、いなかったような・・・僕の記憶ではほとんど消えかかっていましたが、スーザンさんはよく知っていたので間違いないでしょう。
二十数年前なのに、昨日のことのように話してくれました。
家に帰ったらアルバムを見てみようっと。。。
エミリブル太鼓で驚いたのは、これまた稽古場です。
まだ今年になって引っ越してきたと言いますが、広い!
前は何かの工場か倉庫か。体育館のような広さです。
そして、入ってすぐに赤い鳥居がありました。
こういうところが日本ではたぶんないでしょう?
グループメンバーは50人くらいいるらしいですが、今日は25人くらいの参加でした。
ここでは大太鼓スタイル講座です。
ノリが良くて、食い付きがいいのですが、もう少し時間が欲しいところでした。
浅野太鼓の大平胴とか締め太鼓もありましたが、購入してから一度も締め直しをしていないというので、今朝は締め直し講
座もワークショップの時間の前に1時間ほど取りました。
それでも足らなかったくらいです。
締め、をやるとこれだけでグッと疲れますが、気持ちをまた改めてワークショップをスタート!
終わってから、お見送りも盛大でした。
代表を中心に皆さん、楽しんで叩いているのがよく分かるグループでした。
お見送られ後に向かった先が、ソノマ・ホントン宅。
いよいよ今日が、天辿太鼓一周年記念パーティー&感謝ライブの日でした。
心配していたお天気ですが、昨日までのドンより雲や雨が嘘のような、快晴となったのです!
その話しは、また明日。
※このページの写真撮影。富田が写っているのは、 Photo/SUGIMOTO Takashi |
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10月20日(土)
朝起きて、出発の時、ドアを開けて僕は声を上げた。
「俺って、ほんと晴れ男だなぁ〜」
こちらに来てから最高の青空が広がっていた。
しかも、途中で崩れることのない完璧な青空だ。
パーティーは午後1時から始まっていたが、僕が到着したのは、2時40分くらい。
コンサートは三時開始予定だった。
着いてまず、『ソノマ・ブルースカイ』の練習をした。
この曲は日本では『バグダッド・ブルースカイ』という名前で演奏しているもので、
先日のワークショップで1時間ほどしか練習していないのだけれど、
せっかくの機会なのでやってみようよと、声を掛けたものだ。
太鼓は、桶太鼓が5台と、バケツで作った偽太鼓が3台と、パーランクーが4台の編成。
三時を過ぎていよいよ始まった!
まず、ホントンさん率いる『天辿太鼓/Ten Ten Taiko』の「小倉祇園太鼓」。
博子さんが生まれ育った町・小倉。
小さい頃からお父さんに抱かれてお祭りに参加していたこのリズムが、自分の原点にあるという。
日本を離れて今、仲間と出会い、この小倉祇園をどうしても演奏したかったのだ。
今回の為に生まれ故郷に太鼓を習いに行っての、初めての発表だったそうだ。
が、とてもそうとは思えない見事な演奏で、何より華があった。
衣装も本格的で驚きました。
二曲目は『ソイヤ』。
これは僕が作った『宝ぬ海』の始まりの部分と一つのテーマだけを構成して、一曲にしたもので、ソノマでは、『ソイ
ヤ』というと、みんなが叩ける曲になっていた。
これに私も特別出演。
最初に登場して、眩しい太陽の光を受け、会場の皆さんと一緒に声で盛り上げました。
次は、ソノマ・カウンティー太鼓の演奏が二曲あって、八丈太鼓は、前ニューヨークの僧太鼓にいた方がご夫婦で叩き、
お客さま参加コーナー。
四つの演奏ブロックに分かれて、それぞれがそこで練習し、最後に一緒に演奏する形を15分くらいで行った。
野外のこのゆったりリズムに、こういう和太鼓体験コーナーも生きていた。
みんなあまり恥ずかしがらずに参加しているところが、日本ではちょっと珍しいだろう。
※正面ガレージに吊られた、僕が書いた書
最後に青空を指して、皆で叫ぶ「ソノマ、ブルースカイ!」
フィナーレは、みんなでもう一度『ソィヤ!』
天辿太鼓 ソノマ・カウンティ太鼓 縁囃座 打ちやれ会などが参加しました。
終わって、再び打ち上げ。
盛大な、一周年記念パーティー&コンサートでした。 知人、友人、地元の皆さんから祝福されていることが、僕にもよく伝わってきました。
なにより見事な青空に、感謝!
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10月21日(日)
いよいよアメリカ・ワークショップツアーも最終日。
本日も二本立てで、いざ出発!
まずは午前10時から三時間は、バークレーの竜巻太鼓で屋台囃子の講習会。
彼らはこれまでビデオと教則本だけで屋台囃子を練習してきたと言って、最初に演奏を見せてもらいましたら、やっぱり、今まで聞いたことのない屋台囃子でした。 でも、やりたいやってみようどうしても叩きたいという気持ちが、熱いですね。 結局、一番の基本リズム「ドロドロドン」から始めましたが、時間が足りません。
それに質問がどんどん出てきますし、締め太鼓やら、鉦やら、どれもこれもやらなくてはいけないことが・・・・・。結局、基本の「き」の字だけをやってお時間、終了。
それが凄いことですよね。
アメリカの太鼓チームの多くは自分たちで造ったり、他の太鼓チーム仲間に手伝ってもらったりして太鼓を作っています。
稽古場の周り二辺の壁がミラーでした。
屋台囃子のリズムというよりも、それ以前の構えや基本的なことの説明だけで終わりました。
これは紙?で作った太鼓。皮はテープです。なんのテープかな?
このテープは日本では見たことがないモノでした。
よく考えましたね〜。
音は当然響きませんが、リズムの練習には使えます。
最後に、一番の大太鼓を叩きました。
これもリーダーのフィル(Phil Pickering)さんたちが造ったといいます。
富田と肩を組むのがリーダー。 日系人ではありませんが、日本の太鼓が大好きでここまでやってきたと言います。 なんとなく日本的な顔立ちのようにも見えてきました。
柔道のように、TAIKO・太鼓は日本・日本人だけのものではなくなって来ているのではないかと思います。
ここにある太鼓(ワインの樽太鼓)を見ていると、中国やその他アジアにある太鼓と見掛けは同じように思えますが、それを叩く彼らの志向が日本の太鼓芸能(またはそれ+自分たちの文化意識)であることが、中国の太鼓と違います。
彼らはここから、新しい太鼓文化のトルネードを巻き起こしたいと考えているのです。
Photo/SUGIMOTO Takashi
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10月21日(日)
※昼食は、ビビンバ。 これも凄い大盛りでしたが、全部食べてしまえる自分にビックリ。
最終日の午後は、場所を移動して仏教会の体育館での稽古を3時から6時まで三時間。 縁囃座(えんそうざ)のメンバーでもあるジローさんが世話人を務める太鼓チーム。
この近くにスペイン語を由来としたDiabloという山があって、その山名が太鼓チームの名前になっている。 英語では、Devil になるそうだ。凄い名前ではある。
ここも初心者がほとんど、基本練習と僕の曲『ヒラソル』のさわりだけを叩く。
まるっきり基本練習ばかりよりも、やはり記念の曲があったほうがいいと思うとこうなる。が、いかんせん時間がない。
大急ぎでの展開になっていく。
もう一コマ、三時間ほど稽古には欲しいなあと思いつつ、終了。
その笑顔が一番光り輝く、時間にゆっくりと浸りたいというのが「ダイヤ風呂」(僕が勝手に当て字しました)。
これが今回のアメリカワークショップの最後となる。
恒例の記念撮影で幕。
終わってから場所を集会所に移動して、パーティー。
こちらではお馴染みのアボガドが入っている「カルフォルニア巻き」が大皿にどっさり。 海苔が日本とは逆に付いている。 わさび醤油にちょっと付けて食べると、これが旨いのです。
左、畑真由美さん。 以前、日本で僕のアシスタントや舞台のお手伝いやら出演もして頂いた。 その後渡米、アメリカの大学院を卒業して現在は、Coalinga State Hospital(カリフォルニア州立矯正精神病院の一つ)で音楽療法士というお仕事です。
と書いても、いったいどんな仕事をしているのやら興味津々ですが、判りません。 ぜひ畑さん、ブログを作ってご自分の活動を紹介して下さい。
地元の太鼓グループにも入っていて、この日は車で三時間半の距離を駆けつけてくれました。
これはデザートの山。 手作りの「イチゴ大福」が一番人気でした!
腹ごなしに一曲。
日本名・ジロー(本名は、Clare Hess)さんから三味線を借りて弾きました。 ジローさんは、こちらで民謡三味線を習っています。 確か師範にもなられたとか?の腕前。
この後も、僕は唄を何曲かうたい、また縁囃座皆さんの唄も聴き、名残を惜しみました。
普通の住宅地の真っ只中にあって、よく苦情がこないものだと思いながら、 まだ自分の代で始まった太鼓屋さん。
暗中模索。 一代でここまで築き上げ、これからどんな歩みを続けるのかは、そのままアメリカの太鼓文化の歴史と二人三脚になる事でしょう。
加藤太鼓工場にて、代表のTOSHI KATOさんと
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10月22日(月)
アメリカ最後の夜がもうすぐ空ける。
来る時には予想もしていなかった戴き物やら自分の買い物で、このままスーツケースにどう詰めたらよいものかと多少の思
案をすれば、帰り支度は終わるだろう。
アメリカに着いた日から不安定だった空は、突然思い出したように昨日から、二度と雨も降らさぬように晴れ渡ったカルフォルニアの乾いた空に落ち着いた。
窓のカーテンを開けグラインドをちょっと横にずらして外を覗くと、冬の星座・オリオンが大きく横たわっている。
他にも名前の知らない星たちが、朝になる、その前の一時の闇を楽しんでいるかのように輝いていた。
六年という歳月の長さが判らなくなっている。
誰もが同じ時を過ごし、歳を加えているのだけれど、ある時には止まったままのように感じることがある。
前回、この地を訪ねた日から、それだけの時間が過ぎているのだけれど、それは正しく昨日の出来事のように僕に語りかけ、そこに今回の旅の出来事も重なって脳裏に焼き付いていくように思えた。
僕は、六年前の自分と、今の自分とを比べてみた。
これまで過ごしてきた年月・・・・、楽しかったことしか思い浮かばない。
嫌なことは忘れることにしているし、無理にそうしなくても年のせいか忘れている。
年を重ねるのも悪くはない。
窓の外に再び眼をやれば、意外にもまだオリオンの姿を微かに調べることが出来た。
夜明けにはまだ少し時間が余るようだった。
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10月22日(月)
一番長く泊まったホントンさんのお宅では、毎朝、日本と同じように人参特製ジュースと食パントーストを頂いていました。
※ホントンさん宅玄関前で博子さんと
すべてのアレンジをやって頂きました博子さん、本当にありがとうございました。
天辿太鼓、生響一周年パーティー楽しかったですね。
※二泊お世話になりました、縁囃座の杉本敬(たかし)さんと、ご自宅の庭で出発の朝
敬さんの運転でサンフランシスコ空港へ
土曜日から毎日、ずっと空は完全なる青空が広がったまま。 サンフランシスコ・ブルーがお見送り。
この青空に乗って、帰国の途につきました。 |
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こばれ話
何度も訪れている方にとっては当たり前のことでしょうが、僕は6年振りのアメリカでしたので、入出国時で驚いた事を少し書きたいと思います。
入国時に、指紋捺印と写真撮影があったのは前に書きましたが、 帰りにあれ?と思ったことです。
搭乗手続きを終え、チェックイン荷物も預け(「すべて鍵を掛けてはいけない」というのにも驚きました)終わり、手荷物を持ってゲートに向かいますが、その最初に手荷物検査があるのは、どこの空港でも同じだと思います。
他にも身に付けている金属系のものをすべて外してチェックです。
それは当たり前としても、靴を脱ぐのは初めてでしたので、驚きました。 靴に隠すたわけ者が多いのでしょうか・・・。
機内持ち込みにドリンク類は禁止されています。
係員が僕のリュックを開けて、ペットボトルを探し出し、これはダメだよと言って目の前で、ゴミ箱に投げ入れました。
残された僕。
係員がいなくなり、他の係り員に一応聞きました。
そしてゲートに向かう僕の前を、水のペットボトル山積み台車が通り過ぎていきます。
中にまだペットボトルが二本入っていました。
来る時の飛行機の中で、喉が渇いてしょうがなかったので、多めに水を自分で用意していたのも忘れていました。
検査項目や方法を決めても、それを行うのが人間ですから、100%の検査は有り得ませんね。
最後に酒好き人間に一言。
昔は飛行機に乗ればエコノミークラスでも酒は無料で好きなだけ飲んでいたと思いますが、今は料金がかかります。僕が乗ったノースウエスト機は、ビールもワインも全部500円です。 お陰さまで僕も酒が抜けました(追加料金を支払ってまで飲みたいとは思わない)。 ただ、お酒でなくて他のソフトドリンクや水だって、貰うのはそんなに簡単ではありません。 乗客数に対しての乗務員の数が減っているので、かまってもらえないからです。 飛行機に乗ることだけで、ファンタスティック。夢見る世界だった時代は、とうの昔。 現在は、熾烈な競争原理世界が垣間見えます。
経費節約。雲上節水。
水分を取らないほうが、トイレに並ばなくてもよくなるかもしれませんがね。 |
12/1-2 富田和明的大太鼓合宿『Oh!太鼓 No.21』in 川崎
インターネット版 『月刊・打組』 2007年11月号 No.115
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