インターネット版●

富田和明的個人通信

月刊・打組

2008年 10月号 No.121(11月5日 発行)


これまで話せなかったこと〜アメリカを離れる前に

12日間のアメリカ滞在最後の夜明け前に綴る

10月20日

今、朝の五時を少し過ぎました。
まだ外は闇の世界です。

遠くで何度も、アムトラックの汽笛が聞こえてくるこのアパートで、アメリカ最後の夜明けを迎えようとしています。

これまで書けなかったこと、日本に帰ってから書こうと思っていましたが、やはりこのアメリカを発つ前に、ここで書いておきたいと思い、ベッドから起き上がりました。

 

脳出血。


これが発症した9月13日の夜から、一ヶ月と一週間が経ちました。


退院してから一ヶ月です。


後遺症についてです。


人から聞かれる度、


「大丈夫です。問題ありません」


そう何度も、いつでも答えていました。


これは間違いではありません。

日常生活を送る上では、動きが少しゆっくりペースになっただけで、何かが大きく出来なくなったわけではありません。
これは大変、幸運な事だっとと思います。


でも日が経つにつれ判ってきたことがあります。


太鼓のワークショップを再開し、12月公演の稽古を始め、また個人の練習を始めた時に判りました。
いや、段々と波が押し寄せてくるように、毎日毎日、新しい発見が訪れるのです。
この不安が徐々に膨らんでいく日々でした。


でもこれは他人には言えませんし、書けませんでした。
アメリカ出発前で過度に関係者を心配させてしまいますし、また一番大きくは、自分自身がそれを受け入れることがまだできていなかったからです。

 


でもこのアメリカでの二週間を終えて、幸いにもこの現実を受け入れられたと思いますし、これからきっと乗り越えられると信じることが出来たので、ここに書きたいと思います。


それは、


左手の指、並びに肩腕手首が以前のように動かないということです。

 


具体的に書くと、秩父屋台囃子の「玉入れ」、担ぎ桶の「萬來」のテーマなどが一人では叩けません。

そう言うと判りやすいでしょうか?

ゆっくりは叩けます。

自分が思う速さで叩けないだけです。

それから三味線の左手です。
「チリレリ」「チリチリ」などの一番ハイライトとも言えるところから、簡単なツボ押さえまで出来なくなりました。

これもゆっくりは動きますが、これまで演奏してきた速度ではまったく動いてくれません。
それは笛を吹くことでも言えます。
退院後、初めて笛を口にした時、息を入れて「フー」と空音が鳴っただけの恐ろしさを想像できますでしょうか?


これまで水道の蛇口を捻れば、当たり前のように水が流れてきた、そんなように腕が動き、指が動いて太鼓を叩き、三味線を弾き、笛を吹いて、これまで意識もないまま積み重ねられてきたのが芸の時間の重みだと思います。
そして、太鼓芸能生活30年を過ぎた私に突然訪れた病。


体に染み込んで、これは一生このまま熟していくと思っていたもの、が一瞬にして消えました。

そんな、ように思いました。


退院して一週間後にあった初めてのライブでは、不思議なことにまだこの事を知らないでいました。

「舞台にとにかく復帰する」という一念が強かったのでしょう。

そして、齊藤栄一、というベストプレイヤーがずっとフォローして来てくれたお陰でそのことをまだ認識せずにいたのです。
たぶん薄々は知っていても、「そんなことはない、大丈夫」と信じ込んで思っていたことも確かでしょう。
でも齊藤栄一とずっと一緒にいられるわけではありません。

一人になって太鼓打ちの生活が再開し、日々その現実が押し寄せました。

 


そしてアメリカへ出発。

ここではずっと一人の太鼓打ちとしての仕事です。
そして退院後初めての舞台とも言えるコンサートがありました。


ここで、隠せるわけがありません。

でも何とかなるだろうという淡い期待、そしてダメだったらどうしようという不安。
を持ったままアメリカでの生活が始まりました。


ワークショップはそんなに不安ではありませんが、一人で模範演奏とかコンサートの稽古で太鼓を叩いたとき、(内心)愕然となりました。


そんなことはアメリカに行く前から判っていただろうに、と思うかもしれませんが、本番の日が迫ってきて、そのテンションにならないと本当の状態は判らないものです。

三味線も何とかなるだろう、と思って練習してきましたが、コンサート前日になってもまだ指は動かないままでした。
「こんな筈はない。絶対に動く」
と信じていたところもあったのです。


しかし、


動きませんでした。

コンサート前日、主催者であるエミリブル太鼓の代表・スーザンに打ち明けました。


「やっぱり三味線が弾けないから、太鼓の演目に替えてもいいか?」


「私は、あのプログラムでは構成上、どうしても三味線がいい」


「それは勿論、僕もそう一番思っている。弾きたい。そう思って練習してきたけれど、やっぱりとても人前で弾ける演奏ではないと思う」


「‥‥‥‥‥。」


「じゃ、ここで僕がもう一度弾くから、スーザン聞いてみて、それでスーザンがこれでもいいと言うのなら、僕は三味線をやるよ」


そしてその道場で一人、弾いてみました。


その時、初めて、最後まで諦めることなく止めずに弾けました。


そして、スーザンが


「私は今の演奏で大丈夫だと思う」

そう言ってくれたので、僕も弾くことに腹を決めました。

 

ところが、翌日のコンサート本番日、実際の舞台でのリハーサルでは、どうしたことか、もっとボロボロでした。


太鼓ももちろん、細かいリズムはまったく打てません。指が固まっていました、


こんなことで夜の本番が迎えられるのか・・・・・・何度も水を飲み、トイレに行き、いやな汗が出てきます。


そして決めたことは、

とにかく出来ないことはやらない、出来ることを精一杯やる。

これまで体に染み込んでいたノリに合う動きが出来ないからには、それしかありません。


三味線も太鼓も‥‥。


そして本番。

 

本番前にこんなに顔も体も硬直していたことはないと思います。


僕はこれまで本番前でも、最近ではまったく緊張することがなくなり、こんなにリラックスしていていいのかなと思えるくらいだったのですが、
それが今では180度変わってしまっていたのです。


本番が始まっても、こんなに笑顔が引きつっていることもないだろうと、自分では思えるくらいでしたが、何とか終えました。

一つ一つの出番が終わり、すべての演目が終わり、最後は客席を通り抜けて、教会玄関前で皆とコーラス隊の歌に合わせて声を出し太鼓を叩いていました。
その上には真っ黒な夜空がありました。


以前のような満足のいく演奏は、とても出来なかった。


それでも、

出来ることはやった。


自分に対する不満と満足。

この二つが渦を巻いて・・・・・・・・、

 

それでも最後に僕が見たのは、

 

希望の光。

 

不満よりも、満足を選びました。

 

それは、たくさんのお客さんの声、そしてこちらで出会ったたくさんの人々の励ましと応援、暖かい笑顔が僕を迎えてくれたからです。

その笑顔を見た瞬間に何かが変わりました。

 


プロの太鼓打ちとしての今の技術では、こんなに下手糞な太鼓打ちはいないと思う。


でも、それ以外の太鼓打ちとしての気持ち、技を持って、諦めずに生きていけば、


きっと日本でも、これからも演奏活動は続けられるだろう。

今まだ残る不安も、必ず乗り越えられる。


そう思えたのです。

 

現在の医学界の常識では、脳出血で壊れた脳細胞はもう元には戻らないのですが、そんなことはないのです。


たくさんの先輩方がそれを証明してくれていますし、そう確信させる努力を積み重ねられています。


僕も、また少しずつでも以前のように動けて太鼓が打てるよう、信じて叩き続けたいと思います。

 

 


まだ夜は明けていません。


もう少しだけ、床に下ろしたベッドの上で目を閉じていたいと思います。


アメリカでお世話になりましたたくさんの人々、出逢った人々に感謝を込めながら・・・・・。


リハーサル中

リハーサル中

11月18日(土)公演終了後の記念撮影/エミリビル太鼓のメンバーと オークランドの教会で

Photo/Richard Man

First Congregational Church of Oakland

Saturday, October 18


 日本に帰ってから時差ボケは一週間で姿を消し、二週間が過ぎました。

 

 今、振り返って思い返してみても、不思議な体験とも思えます。解脱と言ってもいいでしょうか?

 それに似た体験を、あの公演の夜にしました。

 

 病の発症も一瞬の出来事だったと思いますが、人の気持ちも一瞬で換わることがあります。僕にとっては、そこには太鼓が必要だったのでしょう。

 

 太鼓を叩くことで、人と結びつき、自分も成長させてくれます。

 日々、心は揺れ動きながらも、明日はきっと良くなる。明日がだめでも、いつかきっと良くなる。

 そう信じることができます。

 

 こんなみんなと出逢う為に、こんな時間と出逢う為に、僕はアメリカに行ったのでしょう(呼ばれたのでしょう)。

 何か大きな力を感じずにはいられませんでした。

 

 

 感謝をせずには、いられませんでした。

 

 ありがとうございました。

 

 

『富田和明的アメリカ2008日記』 はこちら

Photo/Susan in Emeryville Taiko Dojo

 

『脳出血入退院後物語』 はこちら


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インターネット版 『月刊・打組』 2008年10月号 No.121

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