3月18〜20日
※体感音頭淡路版打ち上げにて。お手伝いいただいた太鼓アイランド淡路の皆さんと(後列左端は照明の村上智子) ※幕デザイン製作はすべて類貴保さん ※ここまでの写真は体感音頭淡路版スナップ/太鼓アイランド淡路有志と あれは四年前の秋。東京は門前仲町のホールを下見した時、「歳末叩き合い」という言葉がフッと浮かび、ここでコンサートをやってみたいと思った。
その年の春に「太鼓アイランド」は産声を上げ、渋谷ジァンジァンでの「富田和明参上 太鼓物語」は第四夜を終え、「兎小舎なにみてたたく」は第九夜を数えていた。「和太鼓体感音頭」が僕の活動の新しいシリーズとして加わったのはそんな時だった。体感音頭コンサートは、今年の12月で五年目を迎える予定だ。最初の三年が佐藤健作とのコンビで、昨年からは熊谷修宏とのコンビがスタートした。
二人、という人数で、太鼓をどこまで叩け楽しめるのか、90分間という時間お客様にどこまで満足いただけるのか、の実験挑戦的コンサートが和太鼓体感音頭だが、まだ地方に旅に出たことはなかった。
じっと待っていても声がかかるほどの高名でもなし、こちらから出かけなくては仕事にはならない。折りよく、淡路島にほどよい広さのホール(キャパが150席弱)を見つけ、自分で主催することにした。それと熊谷の広島後見人とも言うべき三次童心太鼓の磯方さんが、淡路まで来るのだったら、「三次まで来んさい、ワシが準備するけぇ」と誘ってくださり、ここで二つの公演が決まった。
たった二カ所ではあってもツアーはツアーである。
打組が始まって六年、初めての公演ツアーが組めた。参加者は出演者の僕と熊谷、そして照明の村上智子の三人旅。太鼓と道具類は、僕のハイエース一台に全部積み込み出発だ。
公演の準備は、淡路では「太鼓アイランド淡路」、広島・三次では「三次童心太鼓」の皆さんの全面協力で進められ、公演の幕が開く。本当に手作り手弁当でのコンサートがここに誕生した。
僕の専門学院(横浜放送映画)時代、学校の奨学生応募に作文を書いたことがある。「将来どんなことをしたいのか?」というテーマだった。
僕はリヤカーに道具を積んで町から町を歩く移動劇団の話を書いた。あの頃、僕が大まじめに考えて書いたその夢は、当時すでに何処にでもある陳腐な話であることに僕は気が付いていなかった。奨学生審査からも外れた。その野暮なことを、あれからずいぶんと時間がたち、回り道をしながらもやっと自分で求めようとしている、今回の旅はそんな風にも思える。まだ今はリヤカーの旅ではないが、それに近づく第一歩である。
歳末の門仲天井ホールでの公演には、これまでお楽しみゲストと称して二人の太鼓打ち以外にゲストがいた。それが今回の旅ではゲストはなく、完全に二人だけのコンサートとなったことも意味深い(三次ではコンサート終了後のフィナーレに童心太鼓の演奏が一曲あったが)。
四年にしてようやく、ここまで出来るようになった。熊谷とは年齢差22をはじめとする色々なギャップが演目の奥行きを作っているようだし、佐藤健作との三年間がここに生かされていることも間違いない。
二人でしか出来ないことへの追求は、真面目にバカバカしくやりたい。格好をつけるような舞台はできるだけ避け、熱いお笑い和太鼓演芸場を目指したいと思う。
旅をしたと言っても、実は二人の故郷・地元に足を運んだだけのこと。本当の旅を重ねているわけではない。評判の良かった『アフリカン焼きそば』も歌詞が淡路弁と広島弁なのでこれは受けないはずがないのだ。本当の評価がされるのはまだまだ先のことになりそうだけど、それまでこつこつと出前太鼓劇場を続けてゆきたいと思う。
※ここまで広島県三次・ぺぺらホールにて/上はほぼ開場準備が整ったホール内 ※主催者/三次童心太鼓・代表の磯方敏郎氏と ※体感音頭 出前劇場の三人 12月の歳末叩き合い門仲天井ホール公演まで待てないという皆様に贈る
◎ 夏祭りたたき合い『和太鼓体感音頭 ☆ 新横浜』コンサート 決定!
横浜初登場。歌って踊って語って叩く90分! 昨年12月の再演新横浜版
7月28日(土) 夜・7時開演 出演/富田和明+熊谷修宏
入場料/全席自由 前売2,500円(当日2,800円) 協力/太鼓アイランド青葉
問・申し込み/打組 共催/スペース・オルタ
神奈川県横浜市港北区/スペース・オルタ(オルタナティブ生活館/B1)
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まどろみの宴 4月14〜15日
※ここまで写真は本番前の照明合わせテスト中 東京打撃団にとって世田谷パブリックシアターは、すでにお馴染みの劇場だが、今回の公演のために集結したスタッフは、まさにスペシャリスト達だった。
舞台美術(望月 清晴)、幕デザイン(新井淳一)、照明デザイン(松本直み)、舞台監督(北条孝)、衣裳(金井ひろみ)、又これらを支える人々がいったい何人参加していたのか?この豪華なスタッフを集めたのは構成演出の平沼仁一だ。舞台ビデオ撮影チームも初めて参加した。
これまでで最も大がかり、最も多くのスタッフが一つの舞台を作るために、それぞれの分野で力を発揮した。
僕にとって一番嬉しかったのは、照明の松本直みさんとまた会えたことだ。
直みさんと会うと、僕の気持ちは再デビューした時(95年2月『沈める瀧』)の自分に戻るようで少々気恥ずかしくもあり、そして懐かしい。あの時は、太鼓打ちとしてこれから生きていけるのかまったく不明だったのだが、これから太鼓の世界に戻る、という決意表明をした舞台で、その自分を優しく激しく包んでくれた灯り(照明)と舞台スタッフ(北条さんもこの時の舞台監督)がどんなに力強い助けになったことか。今回の劇場空間でも素晴らしい照明だったと思う。本当は客席から見ていたかったけれどそうもいかず(チラシで「照明・松本直み」の名前を見つけたらその公演は絶対行くべしです)、これは残念。
今回の公演に限っては搬入搬出から、舞台上での太鼓の転換出し入れ、衣裳の片付け管理まで、僕たちメンバーは、裏の仕事は最小限のことをしただけだ。
普段の公演では、打撃団の公演でも最少人数のスタッフで移動するので、当然のことながら、僕たちもプレイヤーでありながら、舞台スタッフである。実は舞台スタッフの仕事の方が多くの時間を占めている。それが今回は、出演者、演奏者の仕事のことだけを考えればよい環境が作られていた。そういう意味でも驚くべき公演であった。
内容の評価は、お越し頂いたお客様お一人お一人にしていただくとして、僕自身としては、新曲も失敗だらけで久しぶりの緊張でしたが、何だか振り返ってみれば、うつらうつらと春のまどろみの中にたたずんで太鼓を叩いていた、そんな気分でもありました(ほんとうに寝てたんじゃないの?と言われそうですが)。※衣裳/金井ひろみ
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インターネット版 『月刊・打組』2001年 4月号 No.65
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