※今月の「月刊・打組」も僕のHP『その日の気分打』からの抜粋・改訂版となりました。
7月20日(金)
淡路島での太鼓アイランドも暑い中、連日大勢の皆様が集まって来てくださっております。いつまでこの状態が続くのだろうかと思いながら、今回で15回を迎えました。※写真はこちら
目の前の海が「おいでおいで」と僕を呼んでいるのですが、昼間も打ち合わせに行ったり、稽古したりで、ジャボンと飛び込む時間がまだありません。でも昨日はしばし木陰でたたずむ時間はありまして、雲一つない青い空を木々の間に写しながら、海からの風に身を置いておりますと、ふと昔の何でもないことを思い出したりしました。
高校三年の夏、受験勉強のプレッシャーだけは一人前に感じつつも、ほとんど手に付かず、部屋の窓から空を眺めていた。また、気分転換にと外に出ては、山の草木燃えるエネルギーに圧倒されながら、自然が作り出す夏に感動していた。とてつもなく暑く、そして美しく思えたあの夏、こんなにも素晴らしい夏に悶々と過ごしているだけで良いのだろうか、来年もこんな夏はやってくるのだろうか、17才の僕は空と海を飽きずに日暮れまで眺めていた。
7月23日(月)
連日猛暑ですね。汗ダラダラだけど嫌いではないです。昨日は、初めての徳島での太鼓アイランド。或るお二人の女性の熱い思いと実行力が実現に結びつきました。なぜそこまでしていただけるのか僕にはよく判らなかったのですが(もちろん、すごく嬉しいんです)、これも太鼓の取り持つ縁と、感謝しております。早くも九月に、二回目の講座日程も決まりました。※写真はこちら
今朝は、徳島の『カリオン・れもん』という福祉関係の作業所で、太鼓の会を開きました。午後は淡路島に戻り、一宮町尾崎小学校での『太鼓の音の玉手箱』公演の準備と夜の本番。
この旅最後の仕事が『太鼓の音の玉手箱』で、僕も最後の力と僅かに残った智恵を振り絞り、盛り上げました。とっても反応の良い子供たち(この学校も全校生徒が約150人の小さな小学校)と地域のみなさんが団扇をパタパタ仰ぎながら参加し、見てくださいました。公演の最後は、観客席の最年長・84歳のおじいさんと最年少・もうすぐ二歳になる坊やに登場願い、一緒に太鼓をドンと叩いてもらった合奏で幕としました。
7月29日(日)
まだ、これを書いているのは昨日の延長です。台風も反れたようで、雨も降らず、劇場(新横浜・スペース・オルタ)は本当に満員御礼のお客様でした。小さい劇場ですが、誠に嬉しかったです。あたたかいお客様ばかりだったように思いますが、初めて見にいらした方も多かったようです。※写真はこちら
和太鼓体感音頭もずいぶん長くやってきましたが、関東圏では体感音頭はこれが最後で、次回12月からは、装いも新たに『和太鼓★新紀撃(わだいこ
しんきげき)』として再スタートいたします。
まだまだ一回一回見逃せません。頑張って何とか新しい工夫を重ねて進化しています。富田+熊谷コンビはこれからもっと面白くなる予感があります。とにかく夏祭り叩き合いが終わりました。皆さま、今年の夏、想い出に残る夏をお送り下さい。
7月31日(火)
暑さが戻ってきた。青く広がる空に入道雲が立ち上がる夏。これまで歳末叩き合いで行ってきた体感音頭を、初めて夏に行った。まだその余韻が体を満たしている。
再演版ですが、毎回、場所や季節日程が違えばいろいろ工夫も必要です。「夏祭り叩き合い」と銘打った以上、趣向を考えなくてはと思っていた。いつもの癖でギリギリにならないと考えられない僕ですが、梅雨が明けて一気に夏がやってきて、淡路、徳島で夏を過ごし、僕の体の中に何かが噴きこぼれてきました。
何十年も前の、でも昨日のことのような夏。忘れたはずの夏。今、僕がこの体で感じている夏。二度とこない今年の夏。これから何度迎えるのだろうか夏。嬉しくて切なくて楽しくて少し寂しい、夏。僕も熊谷も気合い充分でした(体力的には富田が最後に尽きてしまっておりましたが)。みんなが胸の中に秘めながら、また潜在的に隠しているものの錠を解く力を夏は持っているのではないでしょうか?
夏は爆発させたっていい。そしてまた、こころ鎮めて秋を迎えられるのでしょう。各地で夏祭りが開かれる意味の理解がまた深まった気がします。僕の体感音頭・夏祭りも、また来年も演りたい、そんな気持ちにさせました。
8月2日(木)
昨日は、横浜市の或る教職員組合主催ワークショップ『ざ・和太鼓』を朝から夕方までやらせていただきました。
小学校と中学校の先生方が中心のワークショップです。ほとんどの方が初めて太鼓を叩く方でしたので、最初に『夏が来たぞ』を叩きました。
この曲は、淡路島での小学生の為の太鼓ワークショップ用に作りまして、最近私のお気に入りです。どこに行ってもやりたくなるのですね。叩いてゆくうちにまた曲は変動もしていきます。面白いですよ。ただ一つ、大人がこの曲を叩く場合、必要なポイントがあります。それは童心に戻ることです。これがないと叩けません。ま、自然とそうなっていきます。ワークショップに初めて参加された、最初は少々緊張の面もちの方々の、その表情がみるみる変わってゆくのを見るのも、僕の楽しみです。
みなさんのお近くでもワークショップを開いてみませんか?お気軽にお問い合わせ下さい。
8月3日(金)
サンリオ・ピューロランドの夏祭りを見に行ってきた。「みこし祭り」ショーはみんな一生懸命です。太鼓に関しては、ちょっとまだまだなんですが、全体として見ると非常に面白いと思う。好評のようで9月末まで上演が延長されました(2日までは毎日、その後は土日のみ)。それから、このショーの中で使われる『キティーちゃんの一人みこし』も可愛いんです。僕もつい買ってしまいました(2,000円でここだけで売られている)。午後4時以降の入場は、ぐっと料金が安くなります。この時間に入って閉館の8時まで過ごすのがお得です。※写真はこちら
今月末に、鳩の森愛の詩保育園という、園でまるごと太鼓に取り組んでいる(他にも何でもたくさんのことに取り組んでいるようですが)保育園主催で親子ワークショップをやりますが、その打ち合わせに行って来ました。こういうやる気のある積極的な園は、園長先生の人柄熱意が園全体を動かしていると思いますが、すべての人に(園児はもちろん、その親、保母さん保父さん、給食のおばさんなどみんなに)園長先生がやさしく声をかけているのが印象的でした。
8月8日(水)
おかしいと思う。小泉さんは小泉さんで「私の純粋な気持ちがなぜ批判されるのか、分からない」とおっしゃっているが、僕には小泉さんが中国韓国それに日本国内の反対を押し切って、なぜ強行的に、それもこの日に参拝しなくてはならない理由が何処にあるのかがまったく分からない。
あと一週間で8月15日、首相の靖国神社参拝問題が取り上げられない日はない。戦争で亡くなった、犠牲となられた、時の権力者の号令の元すべてを捧げてしまわれた人々に感謝と追悼、そして「二度とこのような戦争は起こしません。戦争への道は歩みません」と祈りを捧げる場所が、靖国神社である必要はない。日本兵として徴兵され戦死していった中国・朝鮮人も、軍の直属機関として集められた従軍慰安婦も認めない靖国神社。なぜこの神社が造られたのか?造られる必要があったのか?どんな死者をも英霊にしてしまう、戦争肯定の臭いを感じずにはいられない。
8月12日(日)
きのうは朝5時出発、帰省ラッシュが始まった中央高速下り線に乗り込む。さすがこの時間に我が家を出れば、渋滞もまだそれほどではなかった。午前10時前、700羽の鶏の鳴き叫ぶ声にむかえられて山梨県白州町にある、身体気象農場前に到着する。ずっと雲行きが怪しい。テントを張って一眠りをしている間にも雨が降り出した。
『芸人マルセ太郎〜鳴りやまぬ拍手』が行われる森の舞台も、本当に森の中ある。木々の枝葉以外に空をさえぎるものは何もない。開演時間が近づいて、結局ここで演ることになった。かろうじて雨は降っていないが、湿度は100%に近い。
夜7過ぎ、マルセさんが初めてこの地を訪れた年の記録ビデオから会は始まった。若い。久々に見るマルセさんの姿がそこにあった。これまでの活動を振り返る映像が流れた後、真剣を使っての演武、巻上公一さんの口琴・ホーミーを操る不思議な世界、があって、僕の出番。
そこで雨がしっかりと確かに降り出した。ここまで来てもう止めるわけにはいかない。雨が振りしきる中、唄をうたい、太鼓を叩いた。この日のために集まった、たくさんのマルセファンの熱気に押されて、バチを降り動かされていたような、そんな時間だった。叩き終わって気が付くと、雨は止んでいた。
僕の後に田中泯さんの舞、マルセさんのスライド上演、矢野陽子さんの熱唱・珍島アリランが続き、最後にマルセさんの長女・梨花さんの、父を、白州を、死を、生き様を振り返るトークがあって、最後の最後に大騒ぎで楽しい(?)葬儀、出棺までのビデオが流された。人間・マルセ太郎を改めて認識させられる一夜だった。まだマルセさんは僕の胸の中にある。※写真はこちら
8月13日(月)
雨はなんとか免れまして、無事、太鼓アイランド白州が野外で開催できた。
マルセさんがいつもここで公演していたという巨麻神社は緑の中だ。最初は激しい蝉時雨を感じましたが、太鼓を叩き始めるとまったく蝉の声も聞こえなくなった(あたりまえか?)。太鼓の音で驚いて何処かに飛んで行ってしまったのでしょうか?
ほとんどの方が、初めて太鼓を叩いた、触った、という方でした(数名、かなり慣れた方もいらっしゃいましたが)。参加の中にマルセさんの息子さんの姿もありまして、これには僕も驚きました。外で叩くのは気持ちがいいのですが、体力の消耗は室内の倍以上です。※写真はこちら
帰りの中央高速は、覚悟したほどのラッシュではありませんでしたが、それでもやはり5時間ほどはかかり、フラフラと横浜まで戻りました。それが昨夜のことです。
※6月号が発行できませんでしたので、合併夏号ではなく、7月、と8月号に分けて発行いたしました。月刊・打組は、年10回の発行です
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