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富田和明的個人通信

月刊・打組

2004年 5月号 No.94(5月27日 発行)

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笑いの一人七福神 〜綾小路きみまろ〜

5月16日

 生「綾小路きみまろ」は、中高年女性殺人狂笑いマシーンでした。
 前座の和太鼓 里味(佐藤&富田)は45分、10分の休憩を挟んできみまろさんは75分、というステージ(本当は里味が40分、きみまろ60分の予定でした)ですが、波に乗っている人の舞台は、こんなに激しいものかと驚きました。
 きみまろさんは最初から最後までテンションが上がりっぱなし(楽屋でもずっと同じ調子)。
 ご覧になっておられない方は信じられないと思いますが、2秒に一回、あるいは5秒に一回くらいの間隔で大爆笑させる。それも体を大きく横揺れ、縦揺れさせて。それが75分最後まで続く。信じられますか?
 岐阜県・高山市文化会館大ホール満席の、きみまろさんの言葉一字一句に反応するお客さまの体力と気力、笑い力も半端じゃない。こんなに笑いが続く舞台を僕は生まれて初めて体験しました。
 これは笑いの渦を越えた、笑いの大波に荒れる冬の日本海です。
 どうしてこんなにツボにはまっているのか?
 話している内容も確かに面白いけれども、それだけではあんなに笑えない。
 きみまろさんのステージでは、客席も電気全開で明るくしてあります。きみまろさんはすべてのお客様の顔を見ながら、何千人いようと一人一人に向かって喋っているのです。
 舞台の最前部分を上野動物園のシロクマさんのように上下(かみしも)に絶えず歩きながら、扇で自分の腿を打っては合いの手を入れ、一人一人に話しかけるきみまろさんから、オーラが出ておりました。お笑い天守様のような‥‥。
 体一つで千人を超すお客さんを前に年間220ステージ以上こなす。それもここ三、四年前からずっと。
 僕は何を学ぶべきなのか?いや、学ぶなんてとても出来ない。ただただ呆気にとられて下手花道の奥に座り、きみまろさんとお客様の表情をずっと見ていました。
 和太鼓 里味のステージが終わった後の休憩時間、僕たちにも声を掛けてもらいました。
「いや、すごいステージだったね。すごい体力!僕なんかもう体力なくなっちゃって、頭もこんなカツラなんだから‥‥」 って、誰に対しても受けようとする。きっと掃除のおばさんにも笑いをとっていたに違いない。
 きみまろさんて、いつ休んでるんだろ。黄金のサービス精神を持った笑いの一人七福神でした。

綾小路きみまろ 爆笑トークライブ 和太鼓 里味 前座出演

ありがとうございました! 

飛騨高山文化会館大ホール 2004.5.16


中日 二胡味 煮込み

5月26日

 中国と二胡を想い描く時、僕は三つの風景を思い出す。

 一つは、百貨大楼の角で小さく座ってガラクタに近い楽器を弾き鳴らしていた盲目の老婆の姿がある。

 留学に出る時に僕は三味線も持って出た。機会があれば色々な場所で弾いてみたいと思っていたからだ。
 ところが、三味線を手に大道芸よろしく腕試しのつもりで路上に出ると、きまっていい場所にはすでに人が座っていた。
 彼らは生活のために、楽器を手造りし切々とあるいは淡々と、手を動かし口を動かしている。
 日本の今はホームレスの人たちがたくさん存在するが、物乞いをほとんど目にしない。しかし中国では何かをしてお金を投げてもらわねば生きていけない。だからたくさんの人たちが体を張り、自分を表現をして生きている。こういう場所ではとても三味線は弾けない。
 僕の留学時代、日本もかつてそうであった様に、まだ洋楽器に比べ、民族楽器は下に見られていた。その一因にこんな日常の風景もあるだろうか。
 盲目の老婆が小雨に打たれて弾いている二胡を聞いた時、自分のやろうとしていたことが、ここでは殿様の道楽のように思え、もう中国で三味線を弾くことも止めた。

 二つ目の風景は、大学の音楽ホールで一心不乱に弾き込む学生の姿だ。

 僕が北京の中央音楽学院(大学)に居た時(1990.9〜91.7)、学生たちの出国熱が凄まじく、皆が必死の形相で朝から夜更けまで稽古しているのを目の当たりにしてきた。
 遊びでやっているわけではない。自らが生きるため、また一族郎党を背負って海外に糧を求めるために。
 学内に音楽ホールがあって、ここでは世界中からの演奏家が訪れ、演奏会が格安で見られる。
 他にも学内の発表会や、実技試験の会場にもなっていた。
 中国滞在中の約四年間、観られるものは音楽に限らず何でも観ていた僕だが、民族楽器の恐ろしいほどの気迫溢れる演奏は、ここで見た学生たちの卒業実技試験が一番ではなかったかと思う。
 誰の演奏が最も素晴らしいのか競われる。楽しい音楽などではなかった。息詰まる緊張と興奮。
 驚き呆れるほど、一途に凛々しく、悲しく猛猛しく。  聞き終わって席から動けない。
 二胡にしろ、琵琶にしろ、両の手に抱えて弾く楽器は、激しい情念を現す。和太鼓も太刀打ちできないと思うほどだった。
 中国古典音楽の底力を、この学院時代に思い知らされた。
 それ以後、どうしても比べてしまう悪い癖がついた。偏屈なのだろうが、舞台で演奏される並みの演奏では拍手をする気にもなれないのだ。

 三つ目の風景は柔らかい朝靄の中にある。
 早朝の公園、太極拳やらダンス、鳥自慢の人々に交じって、聞こえてくる二胡の響きと唄声だ。
 老人たちの優しい穏やかな面々。朝の清々しい空気と太陽の輝き。ゆったりと流れる大陸の時間。ここでは二胡を弾く人の表情ものびやかだった。

 中国で見た二胡の三つの風景は、僕の心の中で長らく封印されていた。
 

 時は流れ二年前の秋、故郷・淡路島である太鼓グループのコンサートがあり、偶然僕も見る機会があった。
 すると一人の二胡奏者がゲストで出ていて、この人の弾く音が、僕の心の奥を溶かした。
 これまで聞いたことがない二胡の音のように思えた。
 中国人ではなく、日本人でそれも淡路島に住んでいるということも驚きだった。それが「えま」さんとの最初の出会いだ。
 後で知ったことだが、えまさんは中国で二胡と出会ったけれども、きちんと習ったのではなく独学だそうだ。それができる人だった。
 力まない、自然体。それがえまさんにぴったりとくる言葉だ。
 その後も何度か、えまさんの演奏を聞きに行き(えま&慧奏のコンビライブが絶妙の味を出しています)、すっかりえまワールドにはまってしまい、こんな二胡なら僕も弾いてみたい、と思ってしまった。中国に居た時には絶対触りたくもなかったのに‥‥。
 えまさんは中国音楽から切り離れた、国籍のない地球サウンドと言える新しいタイプの二胡奏者だ。

 中国での民族楽器や音楽が廃れたのかというとそうではない。
 日本の侵略戦争から国内戦争、文化大革命と続いた長い混乱期を経て、経済改革が進められると同時に、民族の音楽も息を吹き返した。
 この空白を埋めるかのように年老いた名手たちは、次世代に伝えようと必死になった。
 そして鍛えられたその子供たちが生活の場を求め、中国を飛び出し世界中に散っていく。
 日本にも優れた中国の演奏家たちが数多く集まり、彼らの音楽が時間をかけ、日本の社会に浸透していったことが、女子十二楽坊などの成功にも繋がったのだろう。

 この日本でかつてない勢いで二胡ブームが広がっているようだ。
 百年後には日本の新しい民族楽器として付け加わっているのかもしれない。その時には、どんな煮込み味になっているだろうか‥‥。

 

ちゅうにち にこみ にこみ

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インターネット版 『月刊・打組』 2004年5月号 No.94

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