太鼓アイランドの島開きは、今から八年前の1997年5月29日。横浜市青葉区青葉公会堂であった。
始まりは太鼓アイランド青葉。そして同年10月に二つ目の太鼓アイランド淡路が誕生した。
長い間、公演活動の合間を見てのワークショップ開催だったが、その意識が変わったのは二年前。これからは本格的に取り組もうと心に決めた。
自分が叩いて演じることはもちろん大好きなことだけれど、「私も叩いてみたい」「でもどうやって叩けばいいのか分からない」「どこに行けばいいのか分からない」という太鼓に対する熱い想いを持った人々の気持ちに答えられるワークショップは何なのか?ということを懸命に考えるようにもなった。
これまで一度も企画したことがなかった発表会を開こうと考えたのが一年前。この太鼓アイランドフェスティバル・打一好祭は、こうして産声を上げることになった。
通常の稽古と発表の為の稽古とは、やはり性質が違う。年が明けてから一気に集中する方式で追い込んだ。
とは言え、これが初舞台となるような人がほとんどで、とにかく気持ちを落ち着かせてリラックスしながら、テンションを上げていく。
焦らない、焦らない、と皆にも自分にも言い聞かせ、この状態を楽しむこと。それがいつも考える一番大切なことだ。
本番前日からの搬入仕込み。
当日朝からは待ったなしの太鼓道具転換稽古と曲の最終稽古。
意外と出演メンバーの方が落ち着いているように見えた(だけ?)。限られた時間の中でやれるだけの準備はしよう、最後の仕上げだ。
舞台稽古をすべて終え開場時間になると、僕は急にリラックスしてきた。幕が開いてしまえば、後は声援を送るくらいなものだから。
何だかすでにもう楽しい。後はみんながやってくれるだろう。そんな予感があった。
開始の時間が迫る。
下手袖から登場したのが、太鼓アイランド淡路を代表して参加したSさん。拍子木をゆっくりと打って開幕の時を告げる。
その木音に合わせて客電がゆっくりと落ちる中、誰よりも立派な衣裳を身に纏(まと)った特別参加のTさんが、気合い充分で舞台中央に立つ。そこにスポットが当たり太鼓の打ち始め。
二番、三番手は、太鼓アイランド徳島を代表して駆けつけてくれたKさん、Tさんが続く。
それから地打ちの締め太鼓がリズムを刻み始め、次々とメンバーが舞台に登場してオープニング曲『MASARU』の演奏が始まった。
この曲は、太鼓アイランド島開きに合わせるかのような時期に、マルセ太郎さんから依頼があって、芝居「花咲く家の物語」の為に作られたもので、それからずっと叩いてきた。
大抵、大太鼓教室などで初めて太鼓を叩く人にはこの曲で練習してきたので、古いメンバーも新しいメンバーも皆が叩けるのはこの曲になる。たぶんこれからもずっと叩いていくことになると思う。
今年三月まで三年半の稽古を続けた太鼓アイランド泉からも、中心メンバーの四人が参加。演目では最多の25人が参加した。
僕の挨拶の後、太鼓アイランド草加・担ぎ桶太鼓隊『桶鯛01』。
桶鯛(おけたい)はチーム名で、本当の曲名はイラクに平和が訪れることを祈って作った『バグダッドの青い空』なんだけど、まだ未完成曲なので「01」とだけなっている。彼女らは風のように出て、風のように去りました。
次の『御蔵祇園太鼓』は、小倉祇園太鼓の富田アレンジ版。
太鼓アイランド目黒の伝統太鼓塾で練習してきたもの。稽古の時は15人ほどいたのですが、出演となると希望者がなぜか少なかった。
単純なリズムこそ演奏が難しい。挑んだのは三人でした。
続いて『祭り太鼓』は、太鼓アイランド文化の森の「横打ち講座」で叩いてきたもの。
日頃のワークショップ形式から離れ、演奏会の為の練習となった時、メンバーの顔色が変わっていくのはどの教室でもそうだけど、この祭り太鼓は特にそれを感じた。
一緒に造り上げることで七変化八変化してゆく様が楽しかったのだろう。衣裳も輝いていました。
引き続き『秩父屋台囃子』は伝統太鼓塾の富田アレンジ版。
当日朝の舞台稽古では、一番危うかったのだけど、短い時間に舞台に慣れ、本番が一番良かった。
みんなの気持ちが一つにならないとリズムが合わない。屋台囃子はそれが難しく、それが一番の魅力だ。
太鼓アイランド青葉時代からのメンバーKさんに、笛で特別参加頂きました。
僕のトークコーナー(チョコレートの手遊び付き)の後、後半一曲目は、太鼓アイランド草加・和太鼓奏活!の『石敢當(サシビ)』。
一年間、毎月一回練習をしてきた曲だ。この石敢當は、東京打撃団在籍時に作った曲で、元々は三人か二人で叩くものでしたが、この日は11人で叩きました。
全員女性。それも浴衣着て赤襷掛け。
魔よけ厄除けの曲ですが、いつかビシッと着物で決めたいと思っていました。叩く人たちの人柄が出てしまいますので、とっても明るい曲になりました。
この後に再び登場『桶鯛02』。会場を一番沸かせました。
続いてここからはゲスト・熊谷修宏の登場。
まずは『桶太鼓ソロ』。「桶鯛の後に出にくかった」そうですが、空気を一変。締めてくれました。
そして富田と熊谷二人の横打ち太鼓『鼓衣(こい)』と、富田の『大太鼓ソロ』。
幕間に富田と熊谷のトークがあり、トリがいよいよ太鼓アイランド江東・弾!打から団『打から』の演奏。
普段の稽古もこの会場になっているカメリアホールの大舞台を使っているという、贅沢な太鼓教室です。
月二回の稽古で一年掛けて練習してきましたが、四月から12月はほとんど基本稽古を中心に行い、曲構成の練習に入ったのは年が明けてからでした。
メンバー16人、一人が欠けても曲が成り立たないという編成の中、よくみんなが付いてきてくれました。
揃いの赤いTシャツが、一丸となって燃える皆の心を現しているように見えました。
そして、これは『打から』に限ったことではありませんが、本番を見ていて僕はずっと思っていました。
普段の稽古場にも、皆さんは「太鼓を叩きたい」思いでいらっしゃるわけですが、その「叩きたい」気持ちの表れが、打一好祭ではまったく違いました。
「叩きたい」
「叩きたい」
「叩きたい」
普段の何倍にも膨れたこの気持ちに、客席からの熱い視線が加わり、照明が当たり、舞台上の仲間の想いも重なり、出演者の気持ちが今までに見たこともない一体感に包まれているようでした。
それが舞台会場全体で炎上していたように見えました。
プロもアマチュアもありません。この気持ちの激しさに僕も胸を打たれていたのです。
第一回・打一好祭(だいすき まつり)が終わりました。
僕は28年前の8月、鬼太鼓座の三回目の公演を見た時、 「太鼓は見るよりもやっぱり、自分が叩きたい(舞台の上で)」 と思い、そしてこの世界に入ったのですが、やっぱり他の人たちもそういう「自分が叩きたい」「できれば舞台に立ちたい」と思っている方が多いのだということを改めて肌で感じました。
舞台に上げる事、自分が舞台に上がるという事は、そこで思わぬ、これまで体験したことのない、いうにいえない感情が湧き起こります。それは各個人個人の宝物になるでしょう。
太鼓アイランド会員有志・出演者総勢44名。公演終了後、皆が興奮状態でした。終演後の集合記念撮影をし、片付け搬出後の打ち上げ会場でも盛り上がり、その後沢山の感激メールも頂いています。ありがとうございます。
「毎年開催して下さい!」
の声も多いのですが、まずは二年後(二年もアッと言う間にやってきます。早いです。それまでに基礎稽古をやり直して)打一好祭2007は開催したいと思っています。
会場として使わせていただいたカメリアホールは、新しくてとても使いやすく、客席からも観やすい、大きさから言っても僕には理想的な劇場です。
しかしこれは今後もホールのご協力がなければ決して実現しませんし、またスタッフの皆さまのご協力もです。
これからも、「初めてだけど叩いてみたい」、「もっと叩きたい」という気持ちを持つ人々と共に、自由に楽しく太鼓が叩ける場であり続けたいと思います。
そしてたった一度のこの人生に、なくてはならない太鼓を鳴らし続けたい、と僕は思います。
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