月刊・打組 2008年 2月号 No.117(2月3日 発行)
富田和明 太鼓芸能生活三十周年記念 特別企画 / 山野實 写真展 YAMANO MINORU Rainbow Photo gallery 『懐かしの佐渡國鬼太鼓座、鼓童時代的富田和明 SNAP×SNAP』 2007年6月23日〜7月1日 淡路島洲本・千福寺にて開催 2007年10月5日 東京亀戸・カメリアホール ロビーにて開催
※自宅写真庫にて、整理中の山野實氏/撮影・富田和明
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時計の針を巻き戻してご覧下さい
まずは、
第一部 佐渡國鬼太鼓座時代
1977年10月から始まります
No.01-1977.10.30
佐渡國鬼太鼓座(真野町大小)玄関前真野湾をバックに
入座して三週間目に初めてフルマラソン(42.195キロ)を走り、その一週間後山野さんが来てもう一度フルマラソンを走った
入座して初めて写真に撮られた一枚だと思う。二十歳、ここからが太鼓生活の始まり/tomida
「佐渡國鬼太鼓座」入座。最初の写真を撮ったとは光栄。あの日から30年、往時茫々、感慨無量/yamano
No.02-1977.12.31 佐渡國鬼太鼓座 台所にて
食事は当番制で毎日(昼・夜・朝で次の班に)替わった/t
当時の楽しみはなんたって食事が1番。何をたべてもうまかったなあ/y
No.03-1978.1.1 佐渡國鬼太鼓座 食堂にて
入座から三ヶ月。初めて皆と走った元旦マラソンの後で
3時間03分40秒 自己ベストタイムを記録して、気持ち悪い位のご満悦/t
座の特別席がこの食堂。春夏秋冬、時々刻々、色彩の変わる海が眺められる/y
No.04-1978.6.17 佐渡國鬼太鼓座 玄関前にて
おすまさん、千絵子さん、八久保さん、あかしと 巴の太鼓バッグが懐かしい
入座当初は特に、おすまさんにお世話になりました/t
右端の坊やは「鬼太鼓座」創立者・田耕さんの令息。先年結婚されたとのこと。光陰矢の如し/y
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No.05-1978.8.5 民音ツアー中 千葉県市原市にて
ランニング前の体操。旅先でも朝食前に毎日走っていた/t
「体操」ホント体にいいよ。毎朝ラジオ体操やりなさい!体をきたえ、50周年記念公演をしよう!!/y
No.06-1978.8.12 民音ツアー中 埼玉県草加市にて
焼肉屋での打ち上げ この頃の僕たちはビールは飲まずに人に勧め、黙々と肉を食するのみ/t
打ち上げNo.1会場は「焼肉屋」。よくたべたね。肉ばかりを/y
No.07-1978.9.14 民音ツアー中 福岡県小倉にて
牛乳が大好きで、ミルクマンと呼ばれていた。左上は、陶芸家・芦澤 龍夫氏/t
和明坊やはいつも哺乳ビンをはなさなかった。ペットボトルなんてなかったもんなあ/y
No.08-1978.10.7 民音ツアー中 山形県米沢市から裏磐梯へ向かう途中
当時のツアーメンバーのほとんどが写っている。この日は八久保さんの誕生日だったか?
右端は、マイクロバス運転・安島さん。大井さんと正文さんはたぶんトラック移動でここにはいない/t
東北ツアー中のハンチョウから、千秋楽は米沢牛で打ち上げ、翌日は裏盤梯で休日との電話有り。
牛肉のアジは忘れたが、裏盤梯での野外バーベキュウでたべた山盛りのブロッコリーは記憶有り/y
No.09-1978.10.22 民音ツアー中 千葉県飯岡町にて
鬼太鼓座マイクロバス 屋根の上にも道具を積んで走っていた/t
人と荷物をギッシリ積んで、全国を走り回った。高速道路は少なく、ほとんど一般道路だった/y
No.10-1979.1.2 佐渡國鬼太鼓座 稽古場にて
汗と涙が一杯染みこんだ毎日の雑巾掛けで黒光りする床と打ち込んだ太鼓
世界に初めて日本の音を響かせたのが彼らだった(ほとんどが浅野太鼓製)
鼓童独立時にこの太鼓類はすべて新生鬼太鼓座が持ち去った/t
帆船海王丸の甲板に負けないくらい、稽古場の床はいつもピカピカ光っていた/y
No.11-1979.1.3 佐渡國鬼太鼓座 玄関前広場にて
山野さんの正月マラソンを讃えて ジョージ・健・高知の顔も見える/t
冬の佐渡島でのフルマラソンは、スタートからゴールの間に、風、雨、あられ、みぞれ、雪、くもり、晴れ、
これだけの変化を楽しめる。折り返し地点に大きな「雪だるま」をつくり、笛・太鼓の応援があった/y
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No.12-1979.3.24 川崎市産業文化会館にて
唄の練習中?声出しか?
左から大井良明、風間正文、八久保保、河内敏夫、高野巧、富田和明、近藤克次、
鎌田豊数、藤本吉利、林英哲、鈴木春美、小島千絵子、梅沢(藤本)容子/t
唄の練習。酒屋唄かな。現在鼓童の舞台でも唄ってます/y
No.13-1979.8.27 大阪にて
鬼太鼓座vsダウンタウン・ブギウギバンド公演後 大阪友の会の皆さんと食事会/t
関西には熱心なファンが多い。いつも熱心な応援があった/y
No.14-1979.9.15 皇居・半蔵門前にて
山田敬蔵さん(ヘルシンキオリンピック出場・1953年ボストンマラソン優勝)とランニング
青木孝夫(前列右端/現・鼓童代表)がハンチョウの片腕となるべく入座してきた/t
皇居の周りを山田敬蔵さんと走れるなんて。この日のランニングはみんなすごく張り切った/y
No.15-1979.9.22 舞台稽古中
御陣乗太鼓をアレンジした二台バージョンをこの頃は演っていた まだ猿ではない/t
この演目が後年、快作?「鳥獣戯打」となり、お客様を喜ばせるようになり、富田和明、目出度く猿になった!/y
No.16-1980.1.27 加藤泰監督作品『座・鬼太鼓座』撮影中・松竹大船撮影所にて
焚き火を囲んで撮影待ち 中央は山野美樹子さん/t
映画の撮影はすごいなあ。何がすごいたって、待ち時間が!-----/y
この映画撮影はこの後も長期間に渡り、完成はするもののお蔵入りとなる
そしてこれが鬼太鼓座にとって大きな転換となった
つまりデンさんからメンバーが独立する直接の引き金となる
これを切っ掛けに離れていくメンバー、新しく入ってくるメンバーなど動きがあった/t
No.17-1980.3.29 国立劇場・花柳照奈舞踊会にて
英哲さん出演(汐汲)を観に/t
国立劇場とあり、みんな一寸だけオシャレしている/y
No.18-1980.4.26 佐渡にて
この小型トラック一台に全員が(後ろの荷台にも)乗って移動もしていた/t
こんなに働いたトラックはみたことない。どこに行くにも、何をするにも、これ1台しかなかったもんね/y
No.19-1980.12.19 高知県文化ホール楽屋にて
民音ツアー中、平沼仁一と
その後、平沼氏とは一番長い付き合いをしている
中国留学から帰った僕をまた太鼓の世界に引き戻してくれ、東京打撃団も立ち上げた
25周年の時も、30周年記念コンサートでもお世話になりました/t
この頃は平沼仁一君(現・東京打撃団代表)も舞台に立っていたのです/y
No.20-1981.4.26 東京讃岐会館(当時の常宿)玄関前にて
朝のランニング後か?‥‥ 鬼太鼓座創立10周年記念 読売ホール公演中
山口幹文(後列左から二番目)も映画撮影中に入座してきた/t
讃岐会館の部屋は一寸せまかったが、東京の常宿。近くにうまい和菓子屋さんがあった/y
No.21-1981.5.29 岡山公演後、大阪に移動中(岡山発22:05→新大阪着23:21)新幹線車内にて
近藤克次は一歳年下だが、鬼太鼓座入座は僕より一年早い。だからずっと、克次さん/t
大阪着23:21。翌日は寝屋川で昼・夜2回公演。忙しかったなあ/y
No.22-1981.5.31 大阪府立青少年会館文化ホール(阿倍野・城東おや子劇場合同例会)にて
克次さんと締め上げ。この締めが、本当に大変だった/t
和明・克次の舞台を見たい!というお客さんの声、多いのだが‥‥/y
そして、鼓童時代へ続く
第一部 佐渡國鬼太鼓座時代的 1977.10.30〜1981.5.31 第二部 鼓童時代的 1981.8.31〜1989.8.25
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