富田和明 太鼓芸能生活三十周年記念 特別企画 / 山野實 写真展 YAMANO MINORU Rainbow Photo gallery 『懐かしの佐渡國鬼太鼓座、鼓童時代的富田和明 SNAP×SNAP』 第二部 鼓童時代的 1981.8.31〜1989.8.25 |
No.23-1981.8.31 成田空港にて
これからいよいよ鼓童デビュー公演(イタリア・ドイツ)に出発
※ちなみにこの日は山野さんの誕生日でもあった/t
”鼓童”発足記念公演となるベルリンへ向け旅立つ日の成田空港にて‥‥/y
No.24-1982.4.18 鼓童(真野町大小)玄関前にて
真野町・桜マラソン出発前/t
この日から十数年後”桜マラソン”を走ったが、ビリだった。収容車がピッタリ10km。なつかしいコースだった/y
No.25-1982.4.18 満開の桜の下・真野公園で大会後みんなと
藤本吉利さんと風間正文さんが上位入賞した/t
”桜の季節”だけ行く公園だったが‥‥。/y
No.26-1982.4.18 鼓童食堂にて打ち上げ
鼓童になって酒類も自由になりこの日も大いに飲んだ(山野さんから差し入れ)
左から山口幹文、富田和明、山野實、近藤克次、風間正文、十河伸一、藤本吉利、
齊藤栄一、田尻洋、山口経夫、梅沢(藤本)容子、佐藤隆司/t
公演後の打ち上げもいいが、マラソン後の打ち上げは気分が昂揚する感があっていい/y
No.28-1982.11.20 神奈川県相模原市民会館舞台袖にて
スチールドラムの前で 山口幹文作曲/南風(はえ)を演奏していた/t
「南風」好きな曲だが最近演奏しないね/y
No.29-1982.11.20 神奈川県相模原市民会館楽屋にて 愛機Canon AE-1を持って
鼓童誕生前から富田が舞台を離れるまでの7〜8年、鼓童off stage を富田は大量に自由気ままに撮らせて頂いた
その記録『鼓童 記写録』は今も鼓童村の何処かに眠っているはずだ/t
和明君がこのカメラで撮した沢山の写真、佐渡にあるはず‥‥。整理しなさい!宝の山ですよ!/y
No.30-1983.1.4 鼓童台所で
正月からカレー作ってたみたいです/t
当時のカレーには肉が入っていたのだろうか?でもいつ食べても美味かった/y
野菜カレーの時もあったし、肉を入れる時は鶏でしたね/t
No.31-1983.2.11 鼓童稽古場前 雪に埋もれた鼓童初代トラック
金井町のサンスタイルさんから、中古トラックを安く売ってもらう
けれど故障が多くて、大変だった。最初は富田も運転していた/t
いつも1番暖かい食堂の2Fに寝ていたが、こんな雪の日は枕元に雪がつもっていた/y
No.32-1983.2.11 鼓童稽古場前にて
No.33-1983.2.11 鼓童食堂にて
ここにしかストーブがなかったので、冬はこの食堂にみんな集まるか、自分の部屋の布団の中に潜るかだった/t
冬の鼓童は寒くて‥‥‥唯一アッタカイのはこのストーブの周りだけ/y
No.34-1983.2.11 鼓童食堂にて
たぶん年賀状書き。鬼太鼓座時代から賀状は旧正月に出していた/t
メンバーが食堂で手紙を書いている光景をみるのは、大好きだった/y
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No.35-1983.2.12 佐渡汽船両津埠頭
約六ヶ月間、生活を共にしたアメリカサンノゼ太鼓のロイ平林とトミコ野崎を見送る/t
アメリカサンザノ太鼓一行と東京に着くまで涙・なみだ。
両津埠頭の送り太鼓。それも雪の中。そりゃ感激するなあ/y
No.36-1983.6.4 千葉県船橋市民会館で
マイクロバスの出発。国内ツアーはこれでほとんど移動していた/t
見慣れた見送り風景だが、みんなの安全をいつも祈っていた/y
No.37-1983.9.23 鼓童食堂にて
藍染め布買い出しから裁断縫製刺し子までを、旅の合間に半年掛けて完成させた長半纏を着て/t
ツアー先で熱心に刺していた「半てん」。どこへいってしまったの?/y
No.38-1983.9.25 佐渡両津港 佐渡汽船「こさど丸」をバックに
新潟の木田林松次先生宅へ稽古に向かう日/t
この場所は?両津港だが‥‥。どうも記憶が‥‥。ゴメン!同じフェリーに乗ったのかなあ/y
No.39-1983.11.9 東京・町田市民ホール楽屋口付近にて
搬入と荒仕込みが終わると食事の時間まで、場所を捜して三味線の稽古をするのが日課/t
当日のプログラム 第一部 三宅・西馬音内・モノクローム・南風・入破
第二部 獅子躍・綾子舞・出雲楽・大太鼓・屋台囃子 全席指定2,500円也
この日は三味線の出番がなかったけれど、稽古はしていたんだね/y
No.40-1984.1.21 羽田国際空港にて
いよいよ初めての KODO ONE EARTH TOUR がスタート
第一回は半年間、日本の土を踏めなかった。まずは台北へ飛ぶ
お見送りは、山野美樹子さんを挟んでハンチョウこと河内敏夫の御両親/t
祈、旅路平安。留守組も不安イッパイの6ヶ月/y
No.41-1984.4.29 淡路島富田の実家前で 富田の両親
鼓童の海外ツアーが長いので、メンバーの実家を訪ねては写真を撮り、
旅先の僕たちに送るということを山野さんは実施していた/t
メンバーの御家族に会うと‥‥ほとんどの親御さんは、
うちの息子、娘は長男、長女なのでそろそろ家にもどってほしいのだが、
といわれたなあ。中にはぜひ帰してほしい!と。ホント参ったなあ/y
No.42-1984.7.28 佐渡鼓童の富田部屋にて
アジア・ヨーロッパ・アメリカ半年間の旅を終えて
今年(2007年)の夏に再訪したらこの部屋は、青木孝夫さん(現・鼓童代表)の仕事部屋になっていた/t
メンバーの中で、和明君の部屋はキレイなほう/y
No.43-1984.7.28 佐渡の夏
富田の部屋は藍染めと文庫本に囲まれていた/t
本をよく読んでいたね。いつか文章の世界の人になるのかなあ、と思っていた。でも太鼓打ちでよかったね/y
No.44-1984.10.24 シアターアプル舞台にて
初めての新宿歌舞伎町シアターアプル6日連続公演中
ベルリンフィル打楽器奏者の皆さんと再会を喜ぶ/t
嬉しいお客さま。みんなの笑顔が印象的で、この写真は長年仕事場に飾っておいた/y
No.45-1985.4.2 成田空港にて
年明けにハワイに向かい、そのまま北米大陸一周77日間の旅から帰国/t
”鬼太鼓座”時代とハッキリ違うのは、メンバーの服装・持ち物などだ
似合う似合わないは別として、オシャレになったこと/y
No.46-1985.8.23 新潟空港にて
ソウル経由でパリ向かう 今度は二ヶ月半のヨーロッパツアーに出発/t
観光ビザじゃないよ、ワークビザだよ!と書き直しているところかな?
大韓航空機の出発を見送り、俺はそのまま佐渡へ行ってしまったが
ホントによく遊んでいたなあと、今頃反省している/y
No.47-1985.12.4 新宿シアターアプル劇場・ロビーにて
富田の処女作『万里の未知も一打から』が刷り上がり、サイン中。アプル12月公演はこの年から始まった/t
鬼太鼓座・鼓童メンバーで、初めての本となった「万里の未知も一打から」が出版された
山と積まれた新本に嬉しそうにサインする姿を見ていると、胸が熱くなった。オメデトウ!/y
No.48-1986.4.13 鼓童玄関前にて
作家・灰谷健次郎さんを迎えて/t
講演会の日の朝、一緒に走った懐かしい想い出あり/y
No.49-1986.4.29 東京勝どき 山野さんの事務所にて
鼓童香港公演の後、富田が別行動で一人中国を旅して帰り、東京で一泊お世話になった朝/t
この日、中国帰りの和明がオシャレをしてやって来た
ちなみにこの後、5/1に築地本願寺特設ステージで蜷川幸雄演出『オイディオプス王』初日を
克次、仁一、栄一、正文君たちと見る。和はどこへ行ってたんだ?/y
僕は4/29に『オイディオプス王』リハーサルを見て、翌日に佐渡へ帰ったんです/t
No.50-1986.5.10 相川・北田浦 鼓童研修所グランドにて
第一回・鼓童座内対抗駅伝大会ゴール後
一期生チームが見事優勝 富田も区間賞(7Km 27分07秒)で走る しかしこの格好は我ながら恥ずかしい/t
「鼓童機関紙」`86、6月号、Vol 28 駅伝大会特集によれば、和明君はふだんの4倍!の力を出し、区間賞をとったとある/y
No.51-1986.5.10 相川・北田浦 鼓童研修所グランドにて
真野町大小から研修所があった相川町北田野浦まで46.7Kmを7人一チームで走る。四チームが参加/t
私は特別に4期生チームに入って5区を走った。和明君の優勝チームとは8分30秒の差で2位
それでも3位チームに10分、4位チームに21分の差をつけた/y
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No.52-1986.5.10 相川・北田浦 鼓童研修所グランドにて
前日の悪天から信じられない青い青い空の下 プレイヤー、スタッフ、研修生が一丸となって楽しんだ
この時は海外からの短期研修生もいて‥‥この中で何人の名前が皆さんは判りますか?/t
いやなこと、つらい日は忘れるようにしていたが、この駅伝大会は色彩を失うことなく、今でも光輝いている
やはり、みんなで走るのは楽しい!/y
No.63-1986.5.28 京成上野駅ホームにて
トルコ・シンガポール・バリ・マレーシアを巡るアジアツアーに出発
成田空港は開港していたもののまだ闘争紛争が続いていた/t
KODO一行トルコ他海外ツアー、京成上野駅に朝8:00見送る/y
No.53-1987.6.29 鼓童玄関前にて 愛犬ゴンの葬式
佐渡國鬼太鼓座時代より皆に愛されていた長老のゴン
賑やかに出棺。翌日が第二回座内駅伝大会の為、山野さんも来ていた/t
鬼太鼓座・鼓童のメンバーと長年一緒に佐渡を走り、吠えまくってはみんなを困らせ、
またみんなに愛されたゴンが、逝ってしまった/y
No.54-1987.10.31 東京・調布グリーンホール楽屋にて本番前
齊藤栄一が語る特製ハチミツレモンティのウンチクを聞く富田。すでにヨダレか?/t
美味礼讃。料理専門齊藤栄一君、食べ役専門富田和明君/y
No.55-1988.8.12 群馬県前橋市・でくの房にて
一年間の休暇中にソロ活動。野村たかあきさん主催・富田独演会/t
『富田和明 一人旅 真夏の夜の汗かき投げ銭興行』
前橋はキビシイお客さん多く、ハラハラした記憶あり/y
No.56-1989.8.25 佐渡小木港にて山野さんと
この年の夏のアースセレブレーションを最後に佐渡から離れ、12年間の佐渡暮らしにピリオドを打つ/t
最後のアースセレブレーションとなった夏
12年を過ごし、とうとう佐渡を離れてしまったが‥‥。いろんなことがあったなあ/y
そして、おまけ 鼓童後へ続く
第一部 佐渡國鬼太鼓座時代的 1977.10.30〜1981.5.31 第二部 鼓童時代的 1981.8.31〜1989.8.25
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インターネット版 『月刊・打組』 2008年 2月号 No.117
月刊・打組 公開リスト
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