月刊・打組 2014年 9月号 No.131(9月20日 発行)


 

太鼓打ち富田和明が歩く

四国八十八ヶ寺巡り 歩き遍路 富田打ち 2014夏 vol.2

土佐國〜伊予國之巻弐 8/14-16 第四日目から六日目まで

 

 


第四日目(通算21日目) 8月14日(木)

 

四時半起床。朝から雨だった。

それもけっこう激しい雨。

 

カッパを着て、リュックにもカッパを被せる。

朝5時20分、宿の人が見送ってくれ出発してすぐに、気が付いた。

杖だ。

良かった、早く気が付いて。

また宿に取りに戻る。

 

 

 

 

 

 

 

この写真を撮ったのは小雨になった時、

ずっと雨が激しく写真は撮っていない。

 

大雨だった。

平田の町に入って、一旦止む。

 

 

第三十九番・延光寺には十時に到着。

足のマメがかなり痛い。

 

 

 


 

 

 

 

 

ちょうどお盆で宿毛市の観光協会が、

お参りの人々にかき氷のお接待をしていた。

 

お参りの人は少しいたが、歩きの人はいないようだった。

 

 

 

このかき氷を食べ終わったら、また雨に。

 

それも本降りの中、

 

宿毛市市街を抜け、

 

山を越えて行くが、

これが辛かった。

 

なにしろ足が痛い。

一歩足を地面に降ろし、体重がかかる度に激痛だ。

この山に入っていく土砂降りの中、一台の白い車が止まった。

 

そこから白衣を着た女性が下りて、大雨の中を小走りに僕に何かを手渡した。

大きな梨と飴だった。


頑張って、と一言。

 

車は雨の中に消えて行く。なぜだか急に涙が出て来た。

雨で涙も汗も雨も一緒くただが‥‥‥。

 

頑張って歩くことに。

一時間ほど歩き、リュックを下ろして少しだけ雨宿り。

 

梨にかぶりついたら、口が痺れ、

農薬か?

皮を剥かないといけないんだろうが、ナイフはリュックの奥だし、

皮は歯で剥いて食べる。甘くはなかった。

 

 

またしばらく歩くと、


この土砂降りの中でアイスクリームを売っているおばさんがいた。

大きいパラソルを二つ広げていたので、そこで少し立ち話。

 

「こんなところで、売れるんですか?」

「今日はこん雨やき、あかんね」

「普段は売れるんですか?」

「いつもんなら、買うてくれる人もおるき」

 

僕も晴れていたら買ったかもしれないけれど、

この土砂降りのお天気で店を広げていることが、信じられなかった。

 

 

そして、とうとう高知県が終わる。

 

 

 

 

土佐の歩きは、長かった〜。

 

このトンネルを越えれば、伊予愛媛。


雨がなぜか上がって、陽が見えた。

 

さすが愛媛、みかんの國。

 

 

 

峠を越えて、4キロ。

一本松に到着。

 

昨日泊まった宿の奥さんは、明日は観自在寺まで行けますね、

と言っていたが、もうとても歩けなかった。

ここで泊まることに。

 

 

 

 

雨に降られて着替えが何もなくなったので、また洗濯機と乾燥機のお世話になる。

洗濯機に服を入れた後、

足を引き摺って這うようにして、ホテルからすぐのコンビニへ。

これがもう、ヘロヘロ。。。

こんな近くの店までも、もう歩けないのに、

よくここまで歩いて来たもんだよと、不思議に思う。

 

今回の旅、四日目で一番苦しい一日だった。

 

歩き遍路さんとは、一人だけすれ違っただけ。

 

 

 

午前五時半、三原村手前の宿からスタートして、やっと高知県を終え一本松まで


参拝/三十九番・延光寺(えんこうじ)


歩行参拝12時間 約35キロ 宿は、ホテルセレクト愛媛愛南町

 


第五日目(通算22日目) 8月15日(金)

 

今朝は、久しぶりにゆっくりした。

8時20分、ホテルを出発。

 

またしても土砂降りだ。

何より足が痛い。

でも今朝は痛み止めを飲んだ。

薬を飲むのはよくないが、しかも一日分しか持ってなかったので、

今日まで我慢した。

それを飲む。

気休めだろうが、幾分痛みが和らいだ気がした。

 


愛南町にある、第四十番・観自在寺には11時に着く。

休みたい時も、足を止めるとまた歩き出しが特に痛むので、

 

できるだけゆっくりと、一歩一歩ここまで歩き続けてきた。

 

 

 

このお寺は良かった。

 

なぜか、温かみを感じた。

 

 

 

本堂の売店にいた坊さんが、親切に今夜の宿について色々話してくれる。

できるだけお金は節約したいと言うと、


それならちょうどよい距離に、


「村で宝くじに当たった人がお接待で建てた遍路小屋がありますよ」と。

 

 

 

それから、山には入らないようにと、念を押される。

もちろん、僕も山には入らない。

もうずっと国道56号線を歩くつもりだ。

 

お寺から近いスーパーで、おにぎりを買って昼飯。

 

 

 

 

 

国道56号線の内海トンネルの横にもう一本、


こんな立派な歩行者自転車用のトンネルもあった。

トンネルが二本並んでいるなんて、初めて見た。


贅沢ではないか!

 

 

 

約1キロ。15分はかかる。

ずっと歌をうたっていた。

中は涼しい。

 

せっかくの専用トンネルだからと、堪能した。

 

 

 

 

 

 

しかし、トンネルを出て来たところで、

嗚呼、もう疲れた。

足が痛いと一人でぼやいていたら、

 

目の前に突然、ギターを背負った渡り鳥が現れた。


ずっと九州四国を自転車で旅しながら、路上ライブをやって

ネットで配信しているという。

「ハヤシ ケイ、と言います」
https://www.youtube.com/watch?v=GX_yrwK1Kig


目の前で唄ってはくれなかったけれど、話してて元気が出た。

 

僕ももう少し頑張ろう、と思う。

 

 

 

 

愛南町から宇和島市に入って、


「真珠養殖、日本一の町」の看板を見つける。

 

真珠って、伊勢志摩が日本一ではなかったのか?

愛媛が一番か?


僕の頭の中では真珠と愛媛が結びつかなかったのだが、

 

 

夕方5時過ぎ、小屋に到着。

 

観自在寺の坊さんに教えてもらった休憩所は、この針木にあった。

ここの町の家は、海の上にあるのも多い。


海岸に突き出たように家が造られていて、家の下が海だ。

こんなところに津波は来ないんだろうか‥‥‥。

 

Google

 

地図を見ると、確かに真珠の養殖に向いている地形のようだ。

 

 

 

建てられてまだそう年月は経っていないであろう、とても綺麗な休憩所。

こんなところがあるなんて、大変助かります。

 

さっきの寺の坊さんの話では個人の寄附みたいな事を言っていたが、

宝くじ財団のお金を利用して町が建てたと、ここの看板には書いてあった。

真相はどうなのかは分らない。


歩き遍路者の為のバイブル『四国遍路ひとり歩き同行二人』 (へんろみち保存協力会)

僕が持っている2013年版にもまだ記載がない。

 

夏は暑そうだが、たたみ二畳ほどの広さ。


まず中に敷いてあった絨毯を外して、掃除をしようとしたら、ゴキブリが一匹隠れていて、

ほうきで叩き潰して、外にだす。

 

改めて部屋の中を掃き清め、絨毯を外でパンパン叩いてのち、再び室内に入れた。

掃除はすぐに終わる。

 

 

 

部屋の窓を開けると、下はすぐに海だ。

 

養殖イカダがたくさん並んでいるのが見える。

部屋は出来た。

 

次はビールだ。

ここからすぐ近くにドライブインがあるはずだが、

これが、もうそこまで歩くのが大変。

 

今日はここに泊まると決めて荷物も下ろしたのに、

そうすると歩けないのだ。

 

今日も30キロ近くこの痛む足で歩いて来たのに、


あと百メートルほどの距離が、永遠の彼方のように感じられた。

しかし香しく爽快咽ごしビールの誘惑に勝てず、

必死に杖をついて足を引き摺りながらドライブインまで辿り着くと、


‥‥‥お盆休み休業中。

 

しかし店内に人の気配がしたので、声を掛け、

なんとかビールだけでも飲ませてもらえないかと頼むと、

店の冷蔵庫は電気を切ってあるといい、冷えたビールがないんだけど‥‥‥

 

おばさんは、何かを思い出したかのようにちょっと待ってと言い残し、消えた。


暫くして、自宅の冷蔵庫に入っていたという缶ビールを二つ持ってきてくれた。

 

ありがたや〜。これで飲める。


部屋に帰って、靴を脱いで靴下を外す。

今日も時々雨の天候だったので、

足の裏が大変なことに‥‥‥‥、そしてマメがここまで酷くなっていたのか‥‥‥。

自分で声を上げてしまうほど‥‥‥、この写真はここでは出せない。

 

服を脱いで、またトイレの水道で体を拭き、清めたあと、

夕食。

 

一人で乾杯!

いよいよ明日でこの区切り打ちは終わる。

 

ここまでよく来たと思う反面、自分は通しは出来ないだろうと思ってしまった。

 

とてもこのような足の状態では最後の八十八番までは歩き通せない。

マメの対処がなにより肝心だと、今回の区切りでは痛感する。

 

発泡酒2缶と、黒霧島200mlを飲む。

それとカロリーメイトとビスケット。

 

こんな食事をしていると、素早く陽がどっぷりと暮れてしまう。

 

海の波音だけが打ち寄せる夜だ。

酔っぱらっていたので、寝る。

 

が、何だかなかなか眠れないでいたが、それでも寝ようと努力していた。

 

何時間かが過ぎて‥‥‥‥

でもやっぱり、何だか気持ちが落ち着かず、

 

電気を付けてみると、

 

頭の上のところで、とても小さな、ほんとに小さな茶色の蟻さんたちが大集合していた。

 

ビスケットの残りを袋が開いたままに置いておいた僕がいけなかったのだ。

どこからやって来たのか、ものすごい大群になっている。

 

慌てて、ビスケットの袋を別のビニール袋にしっかりと入れ、口を結ぶ。

そして蟻を外に掃き出す。

ゴキブリも新たな一匹を発見し、直ちに打ち潰し、掃き出す。

 

それで、このビスケットが入ったビニール袋をどこに置こうかと考えた。

 

外に置くとまたイヌかネコか、イノブタかがやってくると、よけいに大変だ。

 

一旦は部屋の外に出したが、すぐにまた中に入れる。

夕方潰したゴキブリの死骸は、玄関前できれに蟻さんたちに食べられていた。

 

ビニールを二重にして、もうこれでいいだろうと時計を見る。

 

午前1時。

部屋のドアは閉めてあるが、窓まで閉めると暑いので、二つの窓は全開。

 

国道脇だが、車もまったく走っていない。

静寂の中、

 

打ち寄せる波音だけが、闇に響くのであった。

 

 

 

朝八時半、一本木から歩き始め、十時にお寺に到着して参拝。夕方五時まで歩く

参拝/四十番・観自在寺(かんじざいじ)


歩行参拝8時間半 約28キロ 宿は、針木休憩所



第六日目(通算23日目) 8月16日(土)

 

 

寝たのか眠れなかったの分らないが、四時には起きた。

荷物を片付け、掃除をして、4:45。

 

もちろん外は真っ暗だが、もう今日は最後の一日だから頑張って歩こう、

と出発した。また雨が降っている。

 

宇和島駅までは、ここから25キロもないだろう。


普段なら楽勝で歩ける距離だが、足が痛いのでとても心配だった。

隣の集落(嵐)を過ぎて、またトンネルが二つ並んであった。

 

これも、一つは歩行者用だ。

「風の通り道」と書いてあった。


 

 

そして、トンネルを抜け、

夜も明け、歩くこと、二時間半。

 

 

もう足が限界だった。

最初の大きな町(津島)に入って、緊張の糸が切れたのか、

まったく足が動こうとしなくなった。

 

ここまで、雨は降ったり止んだりの朝。

コンビニで弁当とゼリーを買い、考えた。

 

宇和島までは、約15キロか‥‥‥まだ朝の7時半。

朝飯食べて、再び歩き出すも、、、、

 

結論。

 

今回の富田区切り打ちはここまでとする!

 

7:50、津島の市立病院前バス停から宇和島行きバスに乗った。

 

 

 

バスに乗ると楽チンだった。

アッという間に宇和島駅に到着する。

 

途中、歩いているお遍路さんを一人追い抜いた。

頑張ってるな〜。

僕もこんな風に歩く筈だったのに‥‥‥

 

御免よ、僕はもう帰ります。

合掌。

 

 

これから、この宇和島から松山まで行くが、

僕が予約してある松山発の夜行バスは夜9時発で、

時間はたっぷりとある。

 

JR宇和島から松山まで、特急で一時間半、普通列車で約三時間十五分。

僕は急ぐ必要もないので普通に乗ったが、この列車は途中で何度も停まる。

単線なので特急列車の通過待ちをするのだが、

 

10分停車は当たり前、23分停車というのもあった。

ゆっくり走るのではなくて、止まっている時間が長いのだ。

 

 

あまりに停車時間が長いので、つい鉄女らしき女性に話しかける。


この列車に乗ってすぐ、分厚い時刻表を持った人を二人見つけた、その一人。

 

僕だって昔は時刻表をいつも持ち歩いていたが、

この現代でもこんな人たちがやっぱりいるんだな。

この女性は、T大学薬学部でアシスタントをしていて、

お盆の二日間だけ小さいお子さんをご主人に預けて出て来たという。


とにかく列車に乗っているのが好きなそうだ。

勿論全国の路線に乗っているが、今回はあまり時間がないので

地元四国をただぶらぶらと乗っているのだという。

写真も撮らず、ブログも書かない、何もしないで乗るのがいいのだそうだ。

話しをしていると、長い時間も苦にならない。

 

昼の12時に松山に着いて、まず駅でカレーを食べ、

しかし歩けないので、余った時間も観光に出かけるわけにもいかない。

 

駅の目の前に巨大スパ(キスケ)があって、そこまで行くのがやっと。

ゆっくりと風呂に浸かり、休んだ。

 

午後6時、愛媛のSさんを誘って夕食に。


娘さん夫婦も一緒にやって来て、四人で食べる。

Sさんにはサンダルを買ってきてもらったので、これで何とか歩ける。

もう靴に足が入らない。

 

四人で話していると、時間なんてアッと言う間に過ぎていく。

Sさんは、僕の舞台を東京(トーク齊富もふじもとみ打も)

佐渡、淡路、徳島、で見てくれている数少ないコアなファン。

 

 

四国は霊山だ。

 

普段は忘れていることを、感じさせられ、信じさせられ、思い出させる、

そんな場所だ。


四回目の区切り打ちにして、

『同行二人(どうぎょうににん)


という言葉を深く感じるようになってきている。

 

話しは尽きない。

 

 

 

 

 

しかし、松山って飲食代がすごく安くて驚いた。

量があって美味しい。この卵焼きにも嬉しくなった。

次のお遍路が楽しみだな〜。

 


夜9時、みんなに送ってもらって、

夜行バスは静かに出発した。

 

 



針木を朝五時前に出発 七時半に津島で歩く事を打ち止める

参拝なし


歩行参拝三時間弱 約9キロ 宿は、東京行夜行バス




帰路  8月17日(日)

 

朝9時、予定通りにバスは新宿駅に到着した。

 

 

あの四国松山から一夜、目が覚めれば都心東京なんだから驚くばかり、よく寝たと思う。

 

 

 

 

 

※ JR、京王線新宿駅前で。

日曜日のせいかお盆休みの影響か、どこも人はまだそんなに多くはない。

 

 

※ たまプラーザに帰る、東急田園都市線の中で。

たまプラーザの自宅まで、遍路の笠をかぶり、杖をついて歩いたが、何の違和感も感じない。

 

四国でもそうだが、東京でも注目はされない。

淡路の田舎だとすぐに注目されるだろうけれど。

ただ四国と東京が違うのは、目が合った人と挨拶をするかしないか。

四国でも松山や高知市街地では東京と同じかもしれない。

 

 

自宅に帰ってすぐに行ったのが、M整形外科病院。

朝11時に病院受付したのに、診察などすべてが終わったのが午後2時だった。

この病院はお盆休み明けで今日から診察が始まっていて、とても混んでいたのだ。

でも行ってよかった。


僕の足が酷い状態だったのだ。先生からも、

もう少し来るのが遅かったらやっかいなことになっていたよと言われる。

傷口が化膿して菌が中にも入っていたそうだ。


両足の裏の破れていた皮を綺麗に剥ぎ(僕はうつぶせで見ていないが、少し痛かった)、

何かをピンセットでつまみ取られ(これは痛かった)、きちんと消毒された。

アッという間に終わる。


これまでのお遍路でもマメは何度も出来ていたが、こんなになったことは一度もなかった。

これでは痛かったはずだよ。

今回の遍路は、後半ずっと雨に打たれ、足は痛く腫れ、苦行の遍路だった。

昨日最後に歩くのを止めてしまったのも、この原因があったのだ。

とにかく病院で治療を受けてよかった。


病院で初めて松葉杖を借り、杖をついて帰った。

遍路のお杖が、松葉杖に変わるとは‥‥‥。

 



後記  9月20日(土)

 

帰ってきてから三日間、足は痛かったが、治った。

次に出る時は、このマメ対策を重要課題としたい。

 

そうすると、また別の問題が発生するのだろうけれど‥‥。

 

健康で歩けること。

 

こんなありがたいことは、他にない。

 

生きているうちに、歩いておきたいお遍路だ。

 

今回は、あんなに痛くて苦しかったお遍路だったのに、

今はまたすぐにでも出かけたい気持ちでいる。

 

 

野宿遍路については、いろいろな意見が出ている。

 

野宿をする一部の人のマナーが悪いことで、野宿禁止の場所が増えている。

無料の宿では、感謝の気持ちと、お掃除は当たり前です。

どんな場所でも寝られる人は、よっぽどタフな人か鈍感な人でしょう。

普通は寝られません。

でもあえて出来るだけ、自分を試してみたいという気持ちがあります。

四国の地で、お遍路の道では、それができる場所であって欲しいと願います。

 

社会が野宿者を受け入れられなくなっていることも残念だし、

一部の野宿者で、問題を起こしていることも、とても残念です。

 

普通の宿に泊まることは、とても楽です(お金はかかりますが)。

でも、そこでやはり気持ちが俗世界に戻ってしまう気がします。

自分との対話には、野宿の方が続きます。

 

でも僕はそんなに精神的にタフではありませんので、野宿ばかりでの旅は無理です。

できる範囲で、試したいと思います。

 

こんな旅ができる四国の地に感謝、こんな人間を受け入れてくれる人々に感謝しながら‥‥‥

 

 

 

この調子で一年に一回歩くペースであれば、

目標としていた「還暦までに打ち終える」ことは難しいかもしれない。

 

 

ご縁があれば‥‥‥、

 

次に出会える、その日を楽しみにしている。

 

 

 

合掌。

 

富田和明

 

 




 

四国八十八ヶ寺巡り 歩き遍路 富田打ち 2008

5月17日(土)〜21日(水) こちらをクリック 一番から二十二番

 

四国八十八ヶ寺巡り 歩き遍路 富田打ち 2009

阿波國〜土佐國之巻 を歩き終えて

vol.1 11/9-11 第一日目から三日目までは、こちらをクリック  二十三番から二十四番

vol.2 11/12-13 第四日目から五日目までは、こちらをクリック  二十五番から二十七番

 

四国八十八ヶ寺巡り 歩き遍路 富田打ち 2013

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vol.2 8/17-21 第四日目から七日目までは、こちらをクリック 三十六番から三十七番

 

四国八十八ヶ寺巡り 歩き遍路 富田打ち 2014 夏

vol.1 8/11-13 第一日目から三日目までは、こちらをクリック 三十八番

vol.2 8/14-16 第四日目から六日目までは、こちらをクリック 三十九番から四十番

 

四国八十八ヶ寺巡り 歩き遍路 富田打ち 2014 秋

vol.1 9/30-10/2 第一日目から三日目までは、こちらをクリック 四十一番から四十三番

vol.2 10/3-5 第四日目から六日目までは、こちらをクリック 四十四番から五十三番

 

 

 

富田和明 プロフィール

 

 


七年間を綴る、富田和明的日々是無打噺『2020年日記』
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インターネット版 『月刊・打組』2014年 9月号 No.131

 

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