富田 和明 その日の気分打!2005

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『その日の気分打!』は、5月9日(月)から下記アドレスに引っ越ししました

最新の日記は下記アドレスでご覧になれます

こちらをクリックして下さい http://utigumi.ameblo.jp/

5月6日(金)

 横浜太鼓街『濱っ鼓物語』

 

 

 GW特別二企画が、終わりました。

 太鼓アイランドKIDSは、前々からどのように発進させようかまだ手探りの段階ですが、少しずつ回数を増やしていきたいと思っています。次回は、夏休み企画として登場します
 
今回もたくさんのお越し、うれしかったです。

 太鼓アイランド横浜横浜太鼓街のGW企画では、稽古の後に中華街でお食事というのを行いまして、11名の参加でかなり密度の濃い盛り上がりとなりました
 
とにかく皆様がよくお呑みになられました御様子。僕はと言えば、お酒を飲んでもいないのに(車の運転があったので)、周りの勢いでかなり酔っぱらっておりました
 僕も普段のテンションよりまた中華街に足を踏み入れると、テンションが上がります。ニューヨーク、ロンドン、ロス、シスコ、トロント、バンクーバー、パリ、ローマ、ペキン・・・世界の中華街を渡り歩いた男は、いやがおうにも燃えるのです(ペキンは中国ですが)。
 次回は、僕もジャスミン茶ではなく紹興酒で乾杯しま〜す。
 
いやはや、横浜太鼓街は、横浜泥酔街となりそうです

  飯店の小姐(おねえさん)!
 
お願いですから日本人が下手な中国語で話しかけてきた時には、日本語で答えるのだけは止めて下さい。優しく中国語で返して下さいね。
 
請説,用漢語好不好? 謝

 

 太鼓街の稽古の内容は、夏までは、基本練習&簡単練習曲『濱っ鼓物語』。秋からは、新曲を考えます。

 

 本日、のびのびになっていました打一好祭・写真館オープンしました。ごゆっくりと、ご覧下さい。


 

5月2日(月)

 こころは伊豆鼓?

 

 

 GW真っ最中、今日までずっとお天気にも恵まれています。

 先週末、伊豆半島の中程、東伊豆町に住む知人宅に行って参りました。僕がそういうことをするのは珍しいのです。

 じゃ、どうして行ったのか、をここに書いていたらずいぶん長くなってしまったので、いっそのこと月刊・打組に書いてしまおう!と移しました。

 101号から、季刊にするつもりでしたが、月刊・打組になってます。ま、名前が月刊でも季刊でもどっちでもいいことなので。良かったらお読み下さい。

 まだまだGWが続きます。太鼓アイランドも明日から続きます。

 文化の森、KIDSのみ満員になりましたが、その後の一般コース4日の横浜 太鼓街7日文化の森の締め太鼓講座は、まだ受付可能です。

 遊び疲れた体と心がキュッと締まって、心地よい春の気分に満たされます!お越し下さい。


 

4月24日(日)

 『星川』ってご存じですか?

 

 

 神奈川の方は勿論お判りでしょうが・・・。神奈川県内を東西に走る 相模鉄道(通称:相鉄線)「星川/ほしかわ」駅。綺麗な名前過ぎて演歌歌手の名前みたいでもある。

 先週の木曜日、この会社が発行する相鉄瓦版のインタビュー取材があり、どうせなら相鉄沿線でやりましょう!と僕が場所を指定し、星川に行ってきました。

 僕が19才〜20才に掛けての一年間、住んだ場所がこの星川なんです。ここに横浜放送映画専門学院(現・日本映画学校)の男子寮がありました。

 一期生として入学した最初の寮は「日吉」にあったのですが、毎晩の馬鹿騒ぎで、パトカーが日参し、寮監さんが三回変わり、最後は今村昌平監督のお兄さんまでが泊まりこんだ。ついには周りの住民から引っ越し要請運動まで起こる始末。今すぐにでも引っ越せ、というのを一年待ってもらい、二年生の春、やっと引っ越した先がこの星川だ。

 一つは建物の構造上の問題だろう、元会社の寮だったという星川の寮では以前のような馬鹿騒ぎが起こらなかった。近くに女子寮もない。この寮に移ってほぼ全員が一人部屋になり、畳敷きの集会場もなく殺風景なコンクリートの五階建てだった。

 この寮の近くに、邦楽の店「鶴星(かくせい)」というのがあり、このお店を見つけたことで僕は尺八をまず習う事になり、のちに三味線にそれは変わった。今も使っている太棹三味線もこのお店で買ったものだ。

 30年振りにこの駅に降り立った。

 何かが僕の体内に残っている筈と信じて降り立ったのに、改札を出ても何も絵が浮かんでこない。

「ここは、どこだ?」「何も思い出せない・・・。」

 判らないまま、先に近くの喫茶店でインタビューを受け(この取材は相鉄瓦版・7月号になるそうです)、その後一人で歩いた。

 今日と同じ晴天の日だった。空が青く高い。

 方向は間違っていないと思いながら、何も思い出せなかったが、ある交差点の材木が立てかけてあった場所に心が反応した。

「確かこの交差点は、左だ」

 左折して歩く。うろうろ辺りを確かめながら、舐めるように観る。しかし、この道路沿いにあった筈の、やっぱり鶴星の姿はもうなかった。

 諦めてそこで目に止まった、新しくはない薬屋に入る。おばあさんが出てきた。

「このお店は30年前からありましたか?鶴星というお店を知っていますか?」

「ああ、それならそこのピザ屋になっているところですねぇ」

 やっぱり・・・。

 さっき通り過ぎたピザの店前で僕は胸騒ぎがあった。そうだったんだ。

 引き返してもう一度その店先に立つ。

「そうか30年前の春、僕はここに来て三味線を習い始めたんだ・・・」

 日吉にあった一年目の寮付近の住人から引っ越し運動なども起こらず、星川に来ていなかったら、このお店との出会いもなく、僕はどういう道をその後辿ったことだろう‥‥。

 その時の師匠も奥さんとも連絡は途絶えている。今生きておられたとしてもかなり高齢だろう。佐渡の鬼太鼓座に入った時には、応援してくれていた数少ない一人だった。

 もうここにはいない。建物もまったく違う。

 しばらく店先でピザのランチメニューを眺めるかのように立っていたが、引き返した。もう一カ所、行きたい場所はあった。

 それは、寮だ。

 空っぽの頭を何度も振りながら、さっぱり判らないと思いながら、しかしこの場所で時間を過ごしていると、やはり嗅覚が蘇ってきた。

 何となく体が反応する路地があった。足が止まるのだ。匂いがする。

 そこを入り、坂を上がったところでまた足が止まる。

 折りよく、孫を連れたおばあさんが通りかかる。

「この辺で5階建てくらいの会社の寮みたいなのはありませんか?」

「ああ、それならそこの角を曲がってまっすぐ」

 その場所からは目に入らなかったが、ほんの少し歩いたところで急にその建物が目に飛び込んだ。

 間違いない。これだ。まだここにこれは立っていた。

 今は○○商事の寮になり、一階の食堂だった場所は電子機器の工場になっていた。そこから一人のおじさんが出てくる。

「すみません、30年前にここに住んでいたものなんですが、ちょっと懐かしくて来てみました。‥‥地下の風呂はどうなってますか?」

 銭湯のように大きな湯船があって僕は、時間があればいつでも走った後、好きな時間に使っていた。お湯は沸いていなくても水で汗を流したり柔軟開脚運動をしたり。

「‥‥ああ、今は倉庫になっているね。タイルはまだ残っているから風呂場だったんだろうね」

 おじさんは忙しそうに答えて、すぐにまた中に戻っていった。

 ここにも僕は用がある訳ではない。来てみただけだ。

 

 見上げた空は更に青かった。

 隣りに緑に囲まれた公園があり、すぐ近くに小学校もある。でもそこには何の記憶の欠片もない。

 星川駅に戻り、改札を入る。

 左側に横浜方面行きホームに降りる階段がある。その階段を下りようとした時、「トミダ〜!」という声が背中越しに聞こえた。

 ‥‥そんなような気がして一度振り返ったが、もちろんそこには誰も知った顔など見えなかった。


 

4月18日(月)

 腰痛に要注意

 

 

 花粉症が収まってきたかと思えば、腰痛が出てきましてまんじりとしながらの日々、ここ一週間でございます。

 腰痛も太鼓打ちには宿命みたいなものですから私も付き合いは長い、ので色々と自分なりの痛みのダマシ方は知っている、つもり。今のところ仕事に穴も開けずにやっています。

 しかし布団から立ち上がるのがやっとの状態では、自分の力だけでのだまし方・ストレッチにも限度がある。馴染みの整体師と整形外科、二本立て治療でお世話になります。

 整体は、太鼓アイランド会員さんでもあり、太鼓アイランドロンドンツアーのコーディネターでもある、Hさんが出張サービスで我が家まで来て下さいました。二、三時間ほども特別治療をしてくださった(初めて見るクリーム状のお灸まで)。

 非常に有り難いのですが、Hさんは僕の笑いのツボにも押さえどころがはまり過ぎ。何が苦しいと言って、腰痛の人間は笑うと腰に響いて激痛が走るのだ。

 僕がうつ伏せになったり仰向けになったりで治療を受けている最中二人はずっとボソボソ話している。

 例えば、その部屋に置いてあるピアノを見てHさんが言う。

「トミダさん、今もピアノやってるんですか?」

「いやね〜今ね、止めてるのよ。弾いてないの。いい先生いなくて‥‥」

「また〜、トミダさんはわがまま何だから、絶対美人の先生でないとダメとかうるさいんでしょ?」

「そんなことないって、‥‥この前も良さそうな先生がいてね、電話をかけて色々問い合わせしてたんだけど、‥‥最後に断られたんだよ。その先生は成人男性には教えないっていうんだ‥‥」

「え〜? そうなんですか〜‥‥‥そういう時は、トミダさん、『ボクは気持ちは女性ですから』って言えばよかったんじゃないですか?‥‥」

「?‥‥そっか〜 んんん‥‥   」

 治療をして頂きながら、絶対に笑うもんかと思って頑張っている僕に、力の抜けたユーモアが堪らん‥‥どうしてこんなに可笑しいのと笑わせられて激痛が走るのがなおのこと辛い。お陰で翌日もバリバリに痛みが残り(モミ返しが来ただけで悪くなったわけではない)、行きつけのM整形外科へ。

 レントゲンを撮ってもらって骨に異常がないと確認し、痛み止めの局部注射二本、電気治療15分、痛み止めのお薬と、大好きな塗り薬「モビラート」をもらって帰る。

 これでその日の夕方にはかなり動けるようになり、翌日の文化の森『締め太鼓講座』には間に合いました。

 初めての締め太鼓だけで、午後三時から九時まで!どうなるかと思いきや、楽しかった!!!僕が楽しんでます。それですっかり痛みのことも忘れ、終わった後の帰り道はすっきり笑顔でした。

 スッと腰痛はこのまま消えるかと思いきや、ところがドッコイ、まだ鈍く残ったまま週が明けました。

 嫌な感じというのは腰だけの事ではなくて、このところの日中関係、日韓関係も然り。特に今の話題は中国と日本のいがみ合いでしょう。この事についてはまた書かなくては。

 中国人と日本人の笑いのツボを一気に押さえられる整体師はいないのか!


 

4月5日(火)

 ローマ法王ヨハネ・パウロ2世の笑顔

 

 

 今夜は、横浜・巨人一回戦が横浜スタジアムで行われていますが、そこからもすぐ近い球音が聞こえてきそうな場所で、太鼓アイランド横浜もオープンいたしました。

 JR関内駅からもすぐ!地下鉄伊勢佐木長者町駅からは目の前!という便利の良さです。沿線の皆様、ぜひ足をお運び下さい。もう一つ、車の便もいいんです!遠方の方もドライブがてら、横浜を満喫できる場所なんですよ。大観覧車にも乗ってみたいしって‥‥ま、太鼓のワークショップなんですが‥‥。

 昨日はその太鼓アイランド横浜の、横浜 桶然(おけさ)でした。

 僕の手持ち桶太鼓は4台しかありませんので、レンタル終了後は自前太鼓をお持ちの方のみとなっておりまして、現在も自前参加のみの受付となっています(横浜 太鼓街は自前太鼓の必要はありません)。5月からまたレンタル可能となりました。後3名様貸し出しオーケーです。お申し込み下さい(4.19)

 ほとんどが初心者ですが、叩けなくても楽しい?のが担ぎ桶太鼓。メンバーの顔が判れば僕の頭の中にもリズムが沸いてきます。

 昨日も少しやりましたが、今日ささっと桶然のテーマ曲1号を作りました。まだまだメンバー募集中です。7月以降も続けます。

 僕の花粉症も昨日はずいぶんひどかったのが、もう何度も書いていますが不思議ですね、太鼓を叩いていると治ります。終わった後も、かなり楽な状態でした。ストレス発散なのでしょうかね。

 

 昨日は、ローマ法王ヨハネ・パウロ2世の訃報が大きく報じられていました。初訪日された1981年2月。佐渡國鬼太鼓座の解散はすでに決まっていましたが、まだ鬼太鼓座の名前で活動をしていました。

 来日記念式典が行われた日本武道館。ローマ法王が座られた舞台の横に作られた舞台の上で、僕は鬼太鼓座の一員として太鼓を叩きました。大太鼓が乗った屋台の四方には、四本柱の様に巨大な和歌山の淵田寛一さんの書がありました。懐かしいです。

 この年の9月、ベルリンで鼓童はデビューするのですが、2月はとても微妙な時期だったように思います。その時、大きめの椅子にゆったりと座られたローマ法王の優しい笑顔が、鮮烈に僕の記憶の中にあります。

「その人にとって唯一の神」は尊びますが、その神を他人に強要する人は僕は嫌いです。ヨハネ・パウロ2世は、法王の地位にありながら、他宗教他宗派を尊び、共に対話と平和を呼びかけた。素晴らしい指導者であったと思います。御冥福をお祈りいたします。


 

4月1日(金)

 月刊・打組 100号発行!

 

 

 月刊・打組 100号を書きました。そして発送しました。

 QuarkXPressで編集して印刷して、題字と写真を切って貼り付け原本を作る。近くのセブンイレブンで部数両面コピーして、折って封筒詰め、糊付けして切手を貼り、ポストに投函して終了。

 これをもうやらなくてよくなります。ホッとするような、寂しいような‥‥。

 ぐだぐだ文句をいいながら、結局作業を楽しんでいたのです。じゃ、どうして止めるの?って。やはり少し疲れましたし、もう今ではこんなに簡単にネットで情報を発信出来るようになったからです。ネット環境がない方には申し訳ありませんが。

 1995年1月号から数えて十年一節、No.100です。

 こんなに永く続けられるとは思っていませんでしたが、一号一号、皆さまが読んで下さっていると思いながら、顔を思い浮かべて書いて、作業をしていました。

 インターネット版が始まったのが、1999年6月号 No.47からでした。その後遡って1997年4月号 No.25からはバックナンバーとして公開しています。まだご存じない方はこちらからどうぞ。

 ほぼ四分の一の分量だけが、まだネットに出ていません。これはSONYのワープロデータなので、これを今のコンピューターに入れられず、原本をスキャンして文字を読み込むしかないかな〜と思いながら、スキャナーを買いもしましたが、なかなかソフトはきちんと字を読んでくれず、もうそのままです。

 当初は、本を出版したいとも言い、そうも書いていたのです。タイトルだって早くから決めて、

『太鼓打ち誕生』

 ね、いいタイトルでしょ? それで、これはどうなったのか?

 もうこのエッセイの出版はないでしょう‥‥たぶん。それでもって、去年から出したいな〜とかなり本格的に考え出しているのが、富田和明的太鼓教本。響本かな、読本かな。

 これまでかなりの数の和太鼓教則本が既に世に出ているのでしょうが(僕は一冊も見ていないので知りませんが)、まったく違うものが書けると僕は思っています(見てもいないのにどうしてそれが判る?)。早く書け!って?

 何年かかるかな‥‥。

 百号を終えてのつぶやきでした。


 

3月28日(月)

 第一回・打一好祭(だいすき・まつり)が終演

 

 

 僕は28年前の8月、鬼太鼓座の三回目の公演を見た時、「太鼓は見るよりもやっぱり、自分が叩きたい(舞台の上で)」と思った。

 そしてこの世界に入ったのですが、やっぱり他の人たちもそういう「自分が叩きたい」「できれば舞台に立ちたい」と思っている方が多いのだということを改めて感じました。

 舞台に上げる事、自分が舞台に上がるという事は、そこで思わぬ色んな意識が変わり感情が湧き起こります。

 太鼓アイランド会員有志・出演者総勢44名。公演終了後、すべてのメンバーが興奮状態でした。終演後の集合記念撮影をし、片付け搬出後の打ち上げ会場でも盛り上がり、あれから沢山の感激メールも頂いています。ありがとうございます。

「毎年開催して下さい!」の声も多いのですが、まずは二年後(二年もアッと言う間にやってきます。早いです。それまでに基礎稽古をやり直して)打一好祭2007は開催したいと思っています。

 カメリアホールは、新しくてとても使いやすく、客席からも観やすい、大きさから言っても僕には理想的な劇場です。しかしこれは今後もホールのご協力もなければ決してできませんし、またスタッフの皆さまのご協力もです。

 皆さまの願いがまた叶えられるよう僕も備えなくてはと、思いました。今後とも、よろしくお願いいたします。

 

 打一好祭から一夜明けた昨日は、頭のスイッチを切り替える必要もあり、クラッシックコンサートに行って来ました。

 だいたい打一好祭や新紀撃の初演など気の張る公演が終わった翌日は、早朝に目覚め(夜が興奮したまま眠れないので)、届いたばかりの新聞を持って長風呂に入り、紙面の隅々の文字を追いながら汗を出し、その後も引き続き気持ちを静めようと、お出かけしてはコンサートか映画か芝居を見に行くのが僕の過ごし方の定番になっています。

 昨日は、東京オペラシティ・グランドコンサートシリーズ・東京フィルハーモニー交響楽団『午後のコンサート』に出かけました。

 オペラシティはサントリーホールのように、舞台を包み込むような設計ではありませんが、天井に注目!

 中央に向かってドミノ倒しがあったかのようなデザインでとにかく恐いくらいに天井が高い。客席中央付近通路に立って、ずっとこの天井を見上げていると自分が何処にいるのか判らなくなります。

 この天井の高さが音にどのくらい影響を与えているのか科学的な事は知りませんが、確かに音はいい。

 生の音楽は、その時の自分の精神状態や体調などによって受け入れられ方も大きく違うから、それを耳にした時の自分の感じ方で自分でも気が付かないその時の自分の状態を知らされる事がある。

 昨日、一曲ベルリオーズ「ローマの謝肉祭」、二曲グラズノフ「ヴァイオリン協奏曲」は、あまりの気持ちよささに寝ていた(たぶん)。それからお話を挟みながらの何曲か演奏の後、チャイコフスキー「ロミオとジュリエット」ではっきりと覚醒した。

 チャイコフスキーはなんてドラマチィック!そしてリズミカル。たぶんCDではこんなに感動はできない、生の世界を堪能した。

 唸る打楽器に弦管楽器も優しく力強い。目を閉じていると、僕の意識と体が宙に浮き、揺りカゴに乗せられたまま天井に登り詰め、また降りてくる。これは‥‥太鼓の曲になる。「打から・2」のテーマが聞こえてきた。

 結局は太鼓の事に頭がいってしまいますが、この音が弾んでいたのは、ホールも東フィルも良かったからだろうけれど、指揮者・井上道義さんが良かったんだと思う。

 幕間のトークがまた面白い。まったく面白い話をする風でもなく、顔も笑わず、なんでもない会話(ヴァイオリの古澤巌氏と)をするだけで面白い。なんて人だと思った。落語家でいたよなこんな人。だれだっけ‥‥。

 ラストは、ラヴェル編「展覧会の絵」で締め、アンコールの拍手に答えて再び登場した井上道義さんが、拍手を制した後客席に向かって叫んだ。

「戦争は舞台の上だけで充分!つ・る・ぎ・の(ここはゆっくりご自分の禿頭を左手で撫でながら客席に頭を見せオーケストラ側に振り向き)舞!」右手のタクトと共に演奏者が全身で声を上げた。

 井上さんに、座布団三枚!

 

 あの時、確かに聞こえた「打から・2」のテーマ。今は‥‥‥思い出せません。

「打から」は、打一好祭で初演した『太鼓アイランド江東・弾!打から団』の為の富田書き下ろし曲。「打から・2」はその第二弾の予定


 

3月24日(木)

 さてさて、いよいよ。です。

 太鼓アイランド初めての発表会が明後日となりました。明日から舞台仕込みなので、明日からのような気分ですが。

 妙な気分です。毎日この準備の為の作業をしていますが、やってもやってもまだまだ準備が足らないような、これでうまくいくのだろうか、どこまでやればいいのだろうか、と思いながら。

 参加者の皆さんに喜んでいただけるよう、太鼓を叩いてきて良かったと改めて感じて頂けるよう、準備をしています。

 舞台の上に立つ事の不安、迷い、恐れを吹き飛ばす、力強い意思が、自分の心の中に一瞬でも沸き上がれば、その経験が次の何かを動かしてくれるはず。そんなことが起こるのが舞台の上です。

 それが、明日からの自分を作る種の一粒になると思います。

 確かに、太鼓を叩ける稽古時間は充分ではありませんでしたが、時間には限りがあり、また限りがあるから頑張れる、とも言えます。

 素晴らしい演奏ってなんですか?

 曲の構成をきっちり体に入れること。順番を間違えないこと。太鼓の出し入れをスムーズにして気持ちよく見ていただくこと。そんなことが一番大切なこと、でしょうか。

 出来る準備はして、稽古はして、後は‥‥。

 もう一度、なぜ太鼓を打ちたくなったんだろう。初めて太鼓を聞いた時の感動、初めて太鼓を叩いた時の感動を思い出しましょう。

 あなたにはどんな時に太鼓の音がありましたか?

 あなたにはどんな音が聞こえてきますか?

 どんな人に聞いて欲しかったですか?

 

 太鼓の音は、距離も時間も超えて届くものだと思います。

 あの人の胸に届いて欲しい。

 

 僕はいつもそう願って叩いています。願うことが素晴らしい演奏に近づくことだと思います。

 当日は、もう大慌てでこんなこともゆっくり考えられないかと思いますので書いてみました。

 皆さんと一緒に一つの舞台の上で、太鼓と笑顔で過ごしている姿を思い浮かべながら‥‥。


 

3月20日(日)

 担ぎ桶オリジナル曲の誕生について

 

 今日は「担ぎ桶」、或いは単に「桶太鼓」と言えばこのスタイルと判るようになった太鼓のお話をしたいと思います。

 桶太鼓を腰前に付けたり、抱きかかえるように持って打つスタイルは全国各地にありますが、肩から斜めに掛けるスタイルは、日本では青森県でしか僕は知りません。また見つけたらご報告します。
 
そこで特に有名なのが岩木山の御山参詣です。

 旧暦の八月一日、ご来光を拝める為に宵山かけて登るのが登山囃子、参拝を済ませて山を下りる時に囃すのが下山囃子。この時に桶太鼓が使われます
 
囃子には、チャッパ、笛、太鼓、そして声のこの四つが欠かせません。この囃子を、佐渡國鬼太鼓座から鼓童に変身した時に取材に行きました。

 林英哲氏が抜けた穴をどう埋めるのか、鬼太鼓座とは違う演目を鼓童はどう作ればいいのか、探し求めての取材でしたが、確か六ヶ月の期間にメンバーそれぞれが全国に旅した収穫は大きかったし、今になってみればよけいにその価値が輝いているように思えます
 
三宅スタイル、担ぎ桶スタイルと言われるジャンルがここから生まれたのです(当時はそんな意識もありませんでしたが)。

 登山囃子・下山囃子の取材には、近藤克次、藤本吉利、山口幹文の三人が弘前に行き、佐渡に帰ってきました
 
僕が最初に見たのはこの三人が演奏する囃子でした


 
今でも「発表やるよ〜」という声を聞いて体育館に集まった発表の夜の事をよく覚えています。

 面白かった。

 それからみんなで練習しました
 
最初に登山囃子
 
これは太鼓を叩きながら念仏を唱えるのですが、この声と太鼓のアクセントの絡み具合が絶妙で、ハマル!
 
声を出しながら(唄を歌いながら)叩く太鼓も新鮮で、声を出すことが快感になりました。

 そして下山囃子は訳なく楽しい


 
そんなことでこの二つの囃子を舞台に上げることになったのですが、登山囃子は何度か上げただけで終わり、下山囃子はアンコール曲として永く鼓童の舞台を飾る定番となりました。

 

 それから三年ほどが経ち、1985年、初めての「親子劇場公演」ツアーを鼓童が行うことになり、この舞台の演出をまかされた僕は、何か新曲をと思い、桶太鼓を担いで動き回る曲を作りたいと思いました。

 これは笛もチャッパもなく太鼓のみで演奏される曲で、導入が太鼓を叩きながらツーステップで列を作って舞台に走り込む
 
客席の通路の幅があればロビーから演奏が始まり、この通路を駆けて舞台に上がりました
 
今では普通に見られるこの登場シーンも、これはもちろん僕も「サムルノリ」に影響されての事だったけれど、和太鼓界では珍しい事だったと思います
 
五人が舞台の上で整列した後は曲のテーマを叩き、各自のソロがあり、またテーマを叩いて終わる。そして退場もまたツーステップです。

 初演はその年の5月22日、長崎県大村市民会館で幕が開きました
 
この桶太鼓の曲の名前がそのものズバリの『縦横無尽』。 初演のメンバーが、僕以外に十河伸一、藤本吉利、齊藤栄一、衛藤光三(レナード衛藤)の五人。翌年にメンバー替えがあり、林田博幸が加わった記憶があります。

 これが担ぎ桶太鼓の、伝統芸能ではない初のオリジナル曲になったのです。 って当時はそんな大層には考えて作ったわけではありませんでしたが、近年の担ぎ桶ブームにつれて、林田氏はじめ何人かがこの事を話してくれているそうなので、当の本人もここらでちょっと発言しておこうかと思った次第です。

 それでこの曲『縦横無尽』、僕は大好きだったのですが、なぜか他のメンバーからは「親子劇場公演ではいいけれど一般公演ではちょっと‥‥」という声が出ており(ツーステップを踏みながらの登場が恥ずかしかったのか??今ではなんでもないことでしょうが)、この二年間で終わりました
 
実はこの時に作った曲のテーマリズムは、そのまま東京打撃団在籍時に再構成して『萬來(ばんらい)』となり、生きています。

 

 なぜ今日になってこんな話を書いたのか、もうこの辺でお気付きの方もいらっしゃる筈でしょうが‥‥。

 担ぎ桶スタイルのワークショップは、これまで僕はやっていませんでした(他にたくさんやっている方がおられますし、はっきり言って僕は両面の早打ちなどは得意ではありません)が、あの初めての曲を作ってから早20年
 
担ぎ桶太鼓の歴史というものがあるとすれば、その歴史の一ページを開いたという喜びがあります。

 僕は僕なりの練習方法で、僕自身も桶太鼓を楽しみたいと思いまして、太鼓アイランドでも取り上げることにしました
 
埼玉県草加市で『桶鯛(おけたい)』、神奈川県横浜市で『横浜 桶然(よこはま おけさ)』、「名は体を表す」と言います
 
楽しい皆さまのご参加をお待ちしております。

3月17日(木)

 今週は、各教室の太鼓練習(打一好祭用の)が佳境に入って来まして、もう最後の練習というケースが多く、熱くなってます。

 充分とは言えない稽古量ではありますが、集中、集中、と叫びながら、これまでのワークショップの時間の過ごし方とは違う追い込みです。

 基本練習は大事ですし、人前で叩くことも大事です。

 見られる事で変わる自分の姿があります。

 自分を見て、そしてしっかり周りの人の姿も見て、音も聞きましょう。瞬間に人は化けます。自分も仲間も。

 その瞬間を見逃さないように、眼もしっかりと見開きましょう!

 太鼓の稽古をしている時だけ、なぜか鼻水が止まり、くしゃみが止まり、眼が痒いのも忘れてます。終わって車に乗ったとたん、また復活します。

3月15日(月)

 思いがけなく冬に逆戻りしたかのような寒さだ。

 午前中は半蔵門にある国立劇場の資料閲覧室で、御陣乗太鼓のビデオを見る。二種類ここでは見られる(1977年のと1990年の)が、77年のが断然いい。他にも古い映像物は面白くてつい寄り道してしまう。皆さんもぜひ遊びに行って下さい。要予約ですが。

 表打ちは、昔も新しいのも同じ迫力のある素晴らしい演技ですが、何が違うのかというと太鼓の下打ちだ。

 なぜこんなに変わってしまったのかと腹立たしくさえなる。現在のものを見ていないので良くなっていればいいのですが、何年か前、輪島市で見た御陣乗も同じ下打ちだった。

 新しい方は、音のふくらみウネリが少ないので単調。昔のは、下打ちが唸っている、ように僕にも聞こえる。

 この閲覧室では録音録画はもちろん禁止。しっかりと何度も目に焼き付けた。でもまた忘れそうなので、その時にはまた見に行きます。

 その後、劇場内の職員食堂でランチを食べ(ご飯は大盛りで嬉しい)、近く永田町の国会図書館へ。こういう施設はどんどん使わないともったいない。僕もたまにしか行けないけど。

 ここで御陣乗を調べるが、資料はそんなに多くない。コンピューターで検索しても出てこないので、こういう時に色々頭を働かせて探っていくのが、インターネットとはまた違う図書館での楽しみの一つだ。

 このことについては、伝統太鼓塾のページに書きましたので、興味のある方は、こちらをご覧下さい。

 

3月11日(金)

 今日は朝から雨
 
事務仕事をしておりましたが、午後になって急に何処かに出かけたくなって‥‥‥、こういう時は映画館です。

 我が家から近い映画館は二つあって、109シネマズ港北と、ワーナーマイカル新百合ヶ丘
 
番組とタイムテーブルを見比べて新百合ヶ丘へ。

 遅まきながら「オペラ座の怪人」。
 
出来るだけ期待しないように、期待しないようにと暗示に掛けて映画館の扉をくぐっただけあって、けっこう楽しめました。

 ロンドンの劇場で舞台版も観ましたが、なぜかこういうタイプの舞台には入り込めなくて、それでも観には行ってしまうのです
 
偏屈だけどお調子者で宣伝に踊らされるのは、貧しい性か。

 今回最後まで飽きなかったのは、やはり、純愛モノ強し!?
 
いやいや並みの純愛映画なら拒否反応を起こしてしまう僕ですが、今回は音楽の力が、臭みや違和感を取り除いて、虚構に導いてくれたからだろう
 
特に最初のkissシーンには憧れました。舞台だとこんなに間近で観られませんし‥‥。

 アンドリュー・ロイド・ウエバー
 
長調と短調が紡ぐ安定感がさすがです。そつがないのが嫌味に感じるだけで(こりゃ、僕だけか)、音楽はいいですね。

 不満といえば‥‥、ま、笑えるシーンが一箇所もなかったことくらいかな〜って、どうしてないの?
 
こういう物語にこそ、必要なのに、求めちゃいけないの〜? 残念。

 

 見終わって「クレヨンしんちゃん」の前売り券を買い求め、大人しく雨の新百合ヶ丘を後にしました。

3月10日(木)

 来た来た来た、来ましたよ。僕にも花粉症が。

 例年なら確か4月なのに、やはり今年は早い。

 昨日は箱根彫刻の森美術館に行ってたのですが、僕はくしゃみの連続射撃。でも「前日露天風呂に長く入っていたせいかな。風邪をまたやっちゃたかな〜」と僕は信じていました。

 この美術館はご存じの方が多いと思いますが野外の美術館ですから、ずっと外を歩いております。ここで妙な人を見つけました。

 彫刻は下半身をさらした男性ばかりですが、鑑賞している人の中にはそこまでアートな人はいない。しかし、わざとらしく両鼻の穴に特大ティッシュで栓をしている男性の姿がありました。

 いくら感受性が強いとはいえ、ピカソで鼻血を出すかい?と僕は胸の中で静かに嘲笑していました(この美術館の名物はピカソ館)。その時、まだ気づいていなかった。

 

 その数時間後、僕も車の中で鼻にティッシュを詰め込むことになるとは。

「アレッ?ひょっとしてこれが恋なのか・・・?」

なんていう予感に似た花粉症の突然の始まり。自分で気が付いた時には、もうどっぷりはまってしまっていて重傷だ。

 いったん火がついてしまった恋心はそう簡単には消えないけれど、花粉症は季節が過ぎると消えてしまう。つらくても我慢して、耐えましょう。

3月7日(月)

 このところずっとホリエモンvsフジテレビの話題が尽きません。

 堀江社長は、時代が生んだ寵児でしょう。

 10年後にテレビもラジオも新聞もなくなってはいないと思うけれど、役割は大きく変化していることに、間違いない。

 もっともっとネット社会になっている。それは堀江社長の言う通り。そして、もっと別のニューホリエモンも現れているんだろう。

 今回の堤義明氏の失脚と、堀江社長の登場はとても象徴的だった。

 

 ADSLが我が家にやって来てからの変化は、自分でも想定外。予想だにしなかった変化。何でもインターネットで見てしまう。買ってしまう。予約してしまう。銀行にも行く必要がなくなった。

 本を読むことも少なくなってしまったが、毎朝の新聞はまだ止められないし、お気に入りの作家作品は必ず本を買う。

 コンピューターの前に座る時間が大幅に増えたが、テレビも、映画(館)も、舞台(芝居・コンサート)も、見ることはそれぞれに止められない。

 自分のコンピューターを初めて買った11年前、自分のホームページを初めて作った6年前、そしてADSLになった3年前の春。今では画像も音楽も文字も情報も欲しいものが目の前に快速で現れる。

 これからどういう変化が訪れるのか、僕の頭では想定できない。

 でも、インターネットがなければ、今の僕の活動はなかっただろう。

 たった一人で、企画して、宣伝して、コンサートと教室運営。そんなに大きくしていないせいだけど、たぶん10年前では出来なかっただろう。

 

 ネットでの疑似恋愛、疑似太鼓叩きは出来たとしても、本物の恋愛や本物の太鼓を叩くことは、まったく別のことで、自分の手で掴み取らなくては実感が持てない(こういう考え方自体が古いのもしれないが)。

 太鼓はバチを握って叩かなくては、音が鳴らないし、聞こえない。手軽にできる太鼓ゲームにもその役割・楽しみはあるだろうけれど、手応えは実物にある。でも、もっと手応えのあるバーチャルも登場したらどうだろう。

 

 今は敵対しているライブドア・堀江社長とフジテレビ・ニッポン放送・産経新聞だけど、このままではお互いに不利益にしかならない。これがもし本当にお互いを利用し合ってアイデアを出し合い融合したとしたら、テレビ、ラジオ、新聞の大革命となるかもしれない。

 そうなれば、今は傍観して観客を決め込んでいる他社メディアが、顔色をなくす番になるだろう。

 対立から愛が芽生えてこないかなと、密かに楽しみに二人(堀江、日枝)の顔を見比べている。

 

2月25日(金)

 このところ、打一好祭の準備に追われていました。曲ではないところの作業を事務所に籠もって‥‥。もうすぐ参加の皆さんに郵送しますので、よろしくお願いいたします
 
他にも、記念Tシャツのデザイン(協力/伊藤 晴美)から注文などまで
 
それから太鼓アイランド特製バチに使う焼き印のデザイン発注。これはもうすぐに出来ました。ネットは速い
 
それにこのタイガー刻印さんは、対応も良かったので紹介します。とても小さな文字や絵もオーケーなのは珍しいし、添付ファイルを送って一発終了。出来具合はWS会場で見て下さい。

 そして、月刊・打組 新年号書きましたよ
 
今更新年号というのもちょっとだけ恥ずかしいけれど、旧正月の元旦から数えればそんなに離れてない。と言い訳。
 
今朝も四時から起きて取りかかり、今までかかりましたが(横浜が珍しく雪景色です)、その中の打組拾周年企画(そんな大袈裟なもんじゃないけど)として、沖縄県竹富島の上勢頭 芳徳(うえしぇど よしのり)さんに10年振り?に電話したんですよ
 どうしても「打組」の事で確認したいことがあって‥‥。朝9時、運良くいらっしゃいました。
 
懐かしかった〜
 久しぶりなので長話‥‥。
 
電話を切ってから日記を捜すと、1986年2月12日とありました
 19年前ですよ、行ったのが。
 
日記を見るとあの頃ホントにマメでしたね、色々書いてあって感心します
 この二日後に、石垣島で初めての鼓童公演が行われましたが、これがホテル・南西グランドホテルの大宴会場での一般公演という、とても珍しい公演でした(他に会場がなかったらしい)。
 その日の日記には、
「700人ほどのキャパに1000人以上の人が集まったらしい。
 もう人の頭、頭、で、赤い絨毯が真っ黒け。
 八重山の人達は目が違う。
 子供からお年寄りまで、もう芸能ごとは他人ごとではないからだ。
 みんな喰い入るような目だ。
 熱くなっている。
 久しぶりに太鼓を打った気分。
 心地よい疲れがあった。荷物、台湾行きと佐渡行きに分ける」
などと続く。
 今でもこの時の公演を観た人たちの間では、「あの時が一番良かった」と語りぐさになっているらしい。
 
竹富島は良いところなんです。電話で話してると、と〜っても行きたくなってきた
 
今一番行きたい場所No.1に、急にランクアップ!
 
一旦電話を切ってからまた一つ聞き忘れた事を思い出して電話すると、今度は奥さんの同子(ともこ)さんが電話に出て、またまたヒートアップ!!
 
今夜は夢に出てきそう。。。

2月24日(木)

「円生と志ん生」である。この辺で書いておかないと、次はいつのことになるやら判らない。

 井上ひさしさんは、大好きな作家の一人には違いないけれど、最近はほとんど読んだこともない。芝居も久しぶり
 
初めて観た芝居が『雨』、その後に『たいこどんどん』『もとの黙阿弥』、他に何があったかな〜
 
う〜ん忘れた
 
井上ひさしさんの最新作が「円生と志ん生」だったんだけど、30年前から変わらない安定した芝居だったように思う。面白いのとつまらないのと何度か交叉するのが普通の作家の作品だけど、井上さんのは、そんな「失敗した〜」と思ったことがない
 
それぞれに見終わって、一理ある
 
最後の幕近くに必ず出てくる。この芝居一番のセリフというのが、役者の口から発せられる
 
これが小気味よくて、一人頷く。そうだったのか〜、そうだよな〜、と納得させてくれるのだ。
 
文字にして書いてみても、ここで目にすれば「それがどうしたの?」と言われてしまって終わりだろう
 
その言葉を聞くために濃密な二時間を過ごしてきたからこそ、最後に心に沁みる
 
例えば今回の芝居では、落語とは?と聞かれ
「悲しいことを ステキな悲しいに変える 苦しいことを、ステキな苦しいに変えることさ」と答える(ちょっと違ったかもしれないが‥‥)
 で、それがどうしたって?
 ね、よく判らないでしょう?観てないと‥‥。
それにたぶん、聴き手にとって心に残る一言が違ったりするだろうし
 
井上さんは、そういう言葉の引き出しを沢山持っている。30年間も書き続けるなんて信じられない(本当はもっと長い。NHKの「ひょっこりひょうたん島」の前から数えると50年近くも!)。
 
前の日記に、客席がレトロの嵐のような人々、と書いたが、こういう人々の期待も裏切らないからこその完売御礼なのだ。それにいまだに学生料金を安く設定しているのも、エライ!
 
劇団四季も素晴らしいとは思うが、僕にはやっぱりこういう劇団の方がずっと好きだ。

 幕開き。ピアノ弾きが大事に抱えてきた風呂敷包みの中身は太鼓だった。彼は、まずはこの小鼓を叩いた
 
その音に誘われるようにして高座をあしらった舞台に登場する円生役と志ん生役の、角野卓造と辻萬長
 
台本が脱稿したのが舞台初日の一週間前だったというが、それで幕が開く
 
出演者スタッフの皆さんの、ステキに苦しまれた結果の活気が、幕の最後まで僕を惹きつけてくれた。

2月17日(木)

 常識ってなんだ?あいつは常識のあるヤツ、あいつはないヤツ。でも芸人だと常識があるヤツって面白くないんじゃないの?って思ってみたり、イヤ実は非常に常識人間で真面目なタイプが大成しているんじゃないのか?と思ってみたり
 
いきなりワカラン話で始まりましたが、TBSラジオの『おとなの時間割』21:00〜22:00 火曜日担当・糸井重里「ザ・チャノミバ」が面白い
 
糸井さんの発想、言葉が一直線に僕の胸に飛び込んで来ます。全然格好つけてない。思ったことをそのまま喋って(いるような自由さがある。赤裸々だけど下品じゃないし)、自分がとっても面白がって楽しんでいるのが、聞いていても楽しい。
 
テレビよりラジオが言葉のやり取りは断然面白い。言葉だけでしか勝負してないから当たり前だろうけれど、僕は移動中ずっとラジオを聞いています。それも関東圏ではTBSラジオ一本です
 
中部地区ではCBCラジオ、関西圏では朝日放送と決まってます。TBSラジオなら一日中朝から深夜までほとんどの番組が好きですね
 
普通、ミュージシャンと言われるような人は特に音楽が大好きで、移動中もずっと好きな音楽を聞いているらしい
 
かなり昔、まだ打撃団が結成される前か?珍しくヒダノ修一と二人での仕事があり、帰り、彼の車に乗せてもらって送ってもらったことがある。出会って間もない頃の事だ
 
彼の車の助手席に乗ると一杯にテープCDが積んであって、そこでたくさん面白い音楽を聞かせてもらった。ヒダノが自分の好きな音楽の話をして、当然僕にも聞いてきた
「トミダさんは、普段どんなの聞いてますか?」
「う〜ん‥‥‥、普段オレ聞かないんだよ」
「‥‥‥」
 車はちょうど箱根の山を越えるあたり、ゆっくりとカーブしていた。しかしこれでは会話が成り立たない。気まずい山越えだ。
 彼はどん欲にいつも音楽を取り込む派だし、僕はほとんど体に入れない派。
 僕だって嫌いではない。普段沢山は聞いてない分、好きな音楽と遭遇すると過剰に体が反応したり、のめり込む。だから勿論好きなんだけど、車に乗っている間はラジオから流れる言葉が、僕の好奇心を刺激する。
 
長距離の時は他にも落語を聞いたり‥‥アッと、円生と志ん生の感想を書く時間がもう今日はない!

2月15日(火)

 昨日は新宿東口・紀伊國屋ホールでのこまつ座公演「円生と志ん生」を観に行ってきました
 
こまつ座も久しぶりだったけれど、新宿も久しぶり
 
普段は車移動ばかりで目的地に直行なので、電車に乗って新宿駅に向かうことも少なくなっていた
 
人が多い!って今更ね、こんな感想を書くのも変だけど、横浜の田園都市にいると、こんなに人種が雑多ではない
 
新宿駅構内を歩く人の姿が違う。色んな種類がいて、人間博物館の有様ですね。もう完全に田舎モンのお上りさんです、僕も同類
 
聞こえてくる言葉も中国語からタイ語に判らん言葉が益々増えた。一昔だったら大久保や新大久保並みの外国人が新宿にも溢れ、もう街と同化しています。

 そして懐かしの紀伊國屋書店新宿本店ビルに足を踏み入れると、何だかレトロな雰囲気です。30年前からそれほどここは変わっていないですからね
 真っ先に四階へ。
 紀伊國屋ホールで当日券を買うために並んだ。
「円生と志ん生」は全公演(2/27まで)すでに前売りは完売していて、当日並ばないと(当日券は通路に椅子を並べられた席/開演1時間前から販売なので、1時間半から2時間前までに行って並ばないと)買えない。こういうことをするのも久々だ。
 並んでいる人々も建物同様、かなりレトロ。僕はここではかなりの若造でした(そう見えただけ?)。
 無事当日券を購入して、
カレー屋さんから漂う香ばしい匂いに引き込まれ地下一階へ向かう
 
チケットを買うのに階段に並んでいると、地下から4階まででも匂いが容赦なく登って来て腹と頭の中を掻き回す
 
しかし、カレーは何とか思い留め、釜揚げうどん「水山(すいざん)」に入る旨い! ここの麺はなかなかいけるぞ

 そしていよいよ公演。
 ホールに入ってまずびっくり。すごいレトロ。レトロの嵐のような人々。劇場一杯隙間なく、戦後の青春を生き抜いてきた人々の顔だ〜。
 高齢化は何も過疎地の事だけではありません。都心でもそう。
 もう日本は高齢化の道にまっしぐら。
 客席を見て、若者と子供の姿が見えない(ほんの少しだけいましたが)。
 こまつ座自体のファン層がこうなだけで、社会全体の縮図ではないとは思うけれど、思いも掛けぬ有様に僕は驚いた(僕もレトロの一員になっているのだろうか。自分ではそう思いたくないが)。
 これから、益々若くて元気のいい外国の人々が日本にどんどん集まらないと、社会が立ちゆかなくなるのではないかとさえ思った。日本もスイスやドイツのようになってゆくのだろうか‥‥。
 と、客電がゆっくりと半分落ち、国民服を着て帽子をかぶり風呂敷包みを抱えた青年が現れ、下手袖横に隠れるように置かれていたピアノの前に座った。
 そして、おもむろに彼が風呂敷包みを広げると、その中身は、紅の縄で締められた太鼓だった。

公演の感想は次回に

2月4日(金)

 やっと観てきました「パッチギ!(井筒和幸・監督)
 
右も左も北も南もない、骨のある映画です。こういう映画は好きです。オダギリジョーに大友康平もええ味出してました
 一言でいえば、熱い映画。平和ボケして丸くなったように見える社会の中での一撃。 現在でも問題はずっと同じだろうけど、こんな映画を作られるようにはなった。見終わって清々しさが残る。
 寒さやインフルエンザを吹き飛ばしたいあなたに一本。

 この映画の舞台となっている1968年、僕は小学5年生。
 ちょうどタイガースからテンプターズにオックスなどグループサウンズが突然出没しだした時だ。そして70年になってフォークソングブームが訪れる。僕ももてたい一心でギター(なぜかフォークではなくガットだったが)を買った。
 イムジン河、悲しくてやりきれない、あの素晴らしい愛をもう一度、白い色は恋人の色、花はどこへ行った‥‥考えてみれば、僕が唄える歌はほとんどが高校時代に唄っていた歌ばかり。今の高校生が歌っている唄は、どんなのだろう???ま、ようわからんと思うけど。

2月2日(水)

 寒いですね、冬本番到来です
 
僕も一週間ほど風邪で寝込みました(どうしても動かなくてはいけない仕事以外の時間は、ずっと布団の中に潜り込んでました)。苦しかったです、ノドが腫れて痛いのなんのって‥‥辛いですよね、唾を飲み込めないのがね
 
この前の土曜日にやっと快復してきて神戸徳島のWSでは復帰していました(淡路の参加者の皆さま御免なさいね)。WSで僕の場合、声(大声)が出せないと調子が出ません
 
股関節をほぐして腰と肩と指の関節をほぐし、それからゆっくり(または素早く)のどから息を出し入れして体調を整えるのが、太鼓を叩く前の準備運動ですし、太鼓を叩く時も絶えず叫んでいたい派ですから、声はとても大事です

 昨日は、朝、淡路島を出発して先ず神戸の『太陽の子保育園』に向かいましたが、ここが神戸の北部にあって雪なんですよ
 
雪国からみたらどこが?って言われるくらいですが、確かに積もってました。東京横浜の人々も雪に弱いですが、僕が見たところ、神戸の人はもっと弱い
 
ほんの少しの雪で道路が大混乱。スリップしまくりでいたるところで通行止め。道路の真ん中でトラクターがチェーン巻いてるし、大渋滞。僕も巻き込まれて予定より大幅に遅れて到着
 
園児の皆さんも欠席が多かったので、それを理由に「たいこのおとのたまてばこ」は次回に延期。昨日は、ただちょっと太鼓と子供たちと遊んで園を離れました
 二十数年振りの再訪でしたが、「こんな小さな場所だったっけ?」と最初の印象。昔は周りに何もない中、ぽつんとこの園が太陽に囲まれてありましたが、今は住宅地のど真ん中。窮屈そうに建ってました。
 園長先生はじめ保育士の皆さん、それに子供たちは太陽の笑顔でしたが‥‥。
 その後、急いで帰路につきまして名古屋までは雪の降る中、静岡からポッカリ晴れ、関東はお星様輝く夜空でした。
 今年の二月三月は例年に比べると僕は移動が多いので、覚悟はしておりますが、皆さまも雪道の走行は充分に注意して下さい。

 打一好祭、沢山のご参加希望ありがとうございます。
 受付締め切りました!
 参加の皆さま風邪を引かないように、怪我とか事故とかも気を付けて、春まで頑張りましょうね!

1月21日(金)

 先週から今週に掛けて、ワークショップ以外の余った時間は、屋台囃子の大太鼓用乗せ台を作ること関係に費やしました
 
六台作ったんですが、我ながらいい感じ。プロ級ではありませんが、風呂級(見ると和む系)ぐらいはいってます
 
作っては試し、直しては試して、まだ完成はしてませんが
 
打一好祭の発表会用に作ったんですが、この一回しか使わないのはもったいないな〜
 色々作りすぎたお陰で、今では車の中はもちろんのこと、この事務所の中も家の縁側、軒下にいたるまで、太鼓や台類道具類は溜まる一方ですが、必要なモノは作らないとね。
 
でもこういうモノを作るのは好きです。それに大工道具や材料を見るのも好き趣味の一つにホームセンター観覧があるくらい
 
最近足繁く通っているのは「コーナン 港北センター店
 
見てると時間の過ぎるのが早くて・・・。土地があれば、自分で家も造ってみたい派です。出来ないけど想像する派。
 
でもスゴイのはアメリカのホームセンター!!!
 
いや、もう初めて行った時、大興奮。本当に家丸ごと自分で建てるキットが置いてあるんです。日本のはそこまで行きませんが、きめ細かい品揃え。しかも店舗によって微妙に傾向が違うのが、楽しめます。

 実は、今日映画も一本観てきました
 
この欄には見て感動した話をして、できるだけ、良くなかった話は書かないようにしているのですが、今日のはちょっと‥‥
 役者の皆さんの熱演と撮影が大変だったのは判りますが、物語に感動ができない。何かが噛み合っていない。
超大作の触れ込みで良かった例しがないと、自覚しながらも行ってしまった自分が悔しかった。年末に観たアニメ大作にもガッカリだったのに・・・

 去年観た映画で一番好きだった邦画は、『笑いの大学』(原作・脚本/三谷幸喜 監督/星護)
 
新紀撃03誕生の台本で悪戦苦闘していた時期だったせいもあるかもしれないけれど、映画館の暗闇で腹の底から笑い、そして泣けました。

1月17日(月)

 10年前のこの日。朝、淡路島の実家からの電話で起こされた。
「こっちはエライ事になっとるぞ。母屋は潰れたけれど命は助かった」今までになく緊迫した父親の声だった。
 慌ててテレビを付けると、それは想像だにできなかった風景が次々と映し出されていた。
 翌日、飛行機で関西新国際空港へと飛ぶ。
 快晴の下、炎と煙があちこちから立ち上がる戦場のような神戸が見える。この火の中でどれだけの人が苦しんでいるのだろうか・・・真っ青の空に炎の赤が毒々しく鮮やかに映え、大きな黒煙が不気味だった。満員の機内は静まりかえっていた。
 大阪湾に浮かぶ空港から島までは、直通の高速艇が走っている。
 海から見た故郷は、いつもと変わらないように見えたが、陸に上がりその瓦礫の山に声を呑む。
 僕の生まれ育った懐かしい町の姿は、この日に消えた。
 もう古い家のほとんどが見事に壊れていた。
 いつもはのんびりと人通りもそれほど多くない道に、瓦礫と人が溢れるようにあった。
 まず道路を復旧させる為の自衛隊員とトラック。僕のような故郷を離れていた子供たちが、集まれる限り集まっていたのだろう。

  それから一週間だけ僕はここに居た。ほとんど役には立っていなかっただろうけれど、何かを手伝っていた毎日。よく覚えていない。水、ガス、電話が使えなかったが、電気の復旧は早かった。
 でも地震て不思議だ。ボロボロになった町から車で15分、隣町に走るとまるで普通。この町には何も起こっていない。
 そこで風呂屋に入った。
 野球の話をしていた。TV番組の話をしていた。水はふんだんに使え、人々は当たり前にくつろぎ、当たり前に笑っていた。

 あれから10年、僕も生活をしてきた。色々な事があった10年間。
 これから30年以内に東海関東地区で大地震の起こる可能性が70%だという。僕も経験するだろうか‥‥。
 でも、きっと大丈夫、だと信じます。地震からは人間は立ち直れると思う。もっと恐いモノが他にあると思う。天災よりも人間が造ったモノが。

1月10日(月)

 なかなか飲み癖が引かず続いていますが、相変わらず蕎麦も旨いっす。
 昨年暮れのこの欄に蕎麦の話を書きましたが、何人かの方からぜひ名前を教えて欲しいとお便りを頂きましたので、今日はお知らせしますが、あくまで僕の好みなので皆さまも自分の好みは自分で捜してください。
 佐渡の某蕎麦屋と比べるともちろん敵いませんが、近隣の手打ち蕎麦屋では、とてもこの味に勝てません。旨い蕎麦屋情報も歓迎です。
 

乾麺のお薦め
 山形蔵王「やまいもそば」(みうら食品)1袋250?入り200円前後

 

冷凍麺のお薦め
 「乱切り藪そば」(シマダヤ)1袋3麺入り300円前後

 

旨くて安い蕎麦はこれだ!↑近くのスーパーで捜してみて下さい

 

1月5日(水)

 年末から新年に駆けて一気に飲み食い、はや体重は元の木阿弥以上。でも体調が良い時しかできないことだし、ま正月はいいかと。今後はまた少しは引き締めないといけません。 一番はコンサートがあれば太っている暇がないのですが、冬の間は何もないし危険です。

 今年は刺激的感動が欲しい、と言っても特別な事をしたいわけではなく。どこにでも感動はあるのです。感動できない自分になるのが恐いです。
 誰もが感動を求めている世の中、受け身ではいけないのでしょう。自分が動かなければ‥‥。そう思いつつ、億劫になってしまう。
 寝ていられるならこのまま何時間でも寝ていたい。飲み続けられるならば、このまま何時間でも飲み続けたい。でもそのままの時間が永遠に続く訳もなく、またそのままの時間でいることに自分も耐えられないだろうけれど。
 10年一節、佐渡に渡って10年が過ぎた時、僕の中で何かがうごめいてきた。中国から帰って、打組を作ってから早10年になった。
 また今何かがうごめきだしているのだろうか。
 何かやりたいのだけれど、それが何なのか‥‥。考える一年となりそうです。

 年明けの初映画は、『僕の彼女を紹介します』でした。
 物語の展開は滅茶苦茶なんだけれど、それが許される。面白い。とことん面白くて夢がある(ラストシーンのサービスには疑問です。あそこで男の顔は写さなくてよかったと思う。振り返ったところで終わればもっと良かった)。最後の出演者スタッフ一覧が流れる間の歌も大好き。こういう太鼓のコンサートがあったら凄いな、と思ってしまう。脚本、監督、出演、スタッフに拍手。いい映画でした。
 10年前までは、正月映画と言えば「寅さん」でしたが、今は韓流か?
 韓国にももうしばらく行ってません。ちょっとフラッと遊びに行ってみたくなりました。

 新年、あけましておめでとうございます。
 本年もよろしくお付き合い下さい。

 


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